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故郷(ふるさと)。 [遠距離介護]

『メダパニ』 顛末の翌朝

前日のうちに頼んでおいた介護施設の車が
早朝 母親を迎えに来た。
こちらとしては 人工透析ボーダーライン上にいる母親に 虫の居所だけで
これ以上ハンストされても困る、という・・・のは建前上。
正直、居ないほうが物事がはかどる。 

最初、迎えの時間が早すぎる、とかなんとかブツブツ抵抗していた母親も
慣れたスタッフの顔を見たら気が抜けたのか 大人しく車に乗り込んだ。

その後 
なんだかんだはありましたが

実家の当面の片付けを終えて、自宅へ戻るべく出発したワタシ達。
この実家も 空き家になります・・・。


最後に 母親の居る施設に挨拶に寄った。

自宅を出て僅か数時間後・・・母親はすっかり大人しい普通の老人、になっていた。

訊けば施設スタッフに労われた際 深々と頭を下げて
「その節はありがとうございました」 と礼を述べたという。

「何日ぶりで落ち着いた。ここは、いいね」  ∠( ゚д゚)/ 「え」

あろうことか(・・・ホントは普通の事だけど) ワタシの顔色を見て

「疲れたんだろ・・・寝てないんだものね」 と気遣いを!!!!!!   (あんびりばぼーーーー!!!)

施設でお茶をいただいて、しばらくぶり、ワタシと旦那と息子も、一息つく。
カフェテラス様式に広がった共用スペースが明るくて

なんだかココ四日の出来事がみんな 嘘みたいに思えてくる。
嘘だったらよかったのにぃ、というのではありません。
「現実感」 なんて所詮、後から勝手にヒトが付け足すものだと思っています。


スタッフの皆さんが一人ひとり、丁寧に悼んでくれ
涙目で言葉をなくされる方が いらした。

父が、短い滞在だったがそれなりに愛されていたことに感慨を抱く。


やがて帰宅の途へ。


帰りの車中でつらつら 考えた。


上手く云えないが 母親は自宅にいるより 施設に居たほうが きっとイイ。

旦那様に云ったら、同じことを思っていたそうだ。


実家。
今 美しい紅葉で溢れ還るところ。
四季に埋もれるようにして 家々の点在する 秋には宝石のような 里山。

あの余りに小さなコミュニティは なんだか戦場みたいだ。

そこで暮らしていくということは
日々、前線にいるようなものなのだ。

お互いがお互いを傷つけあいながら 
あまりにも小さなラインを死守ながら 暮らしていく。 

外から来たヒトを容易に受け入れない それよりおろか

コミュニティの構成要員である自らをお互いに削り落とすべく
やっきになっている。それを日常、と呼ぶ小さな「社会」。

代々続くエゴイズムが高分子化し、自ら破裂寸前。
それが地方辺境部の淘汰、の姿なのか。
一見 穏やかに過疎化していくかのようなムラ社会、は

容易に覗ける裏側で、かくも壮絶な醜態を見せつけている。・・・

あの中でもしも暮らしていくならば、早晩ワタシも
母親のコピーになるのだろう。

いや、ムラそのものの、コピーになるのか。


秋の紅葉が眩しい午後。


ワタシにもかつて 帰りたい故郷があって、懐かしい場所・食べたい物があって 
会いたい家族が居たのです。

月並みだけれど
ワタシの記憶に 1シーンずつ 貼りついている。

もう触れないけど 確かにあるんだし。

きっとこの先 ワタシの描く『故郷』 は

それは 
ワザと剥がさずに於いたシールの 断片。

いずれワタシのいいように 脚色されていく世界。


もう それでいいや、と 思ったのです。



DSC_0503.JPG


ああ今日は好い天気だ

路傍の草影が
あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故郷(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる

(中原中也 『山羊の歌』 「帰郷」 より 抜粋)



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コメント 1

rtfk

居場所が変わると人が素になれたり
もしくは別の顔になったり・・・はあると思います
自分も会社と家庭では顔つきも話し方も違うでしょう
実家で親と相対している時の顔も違うでしょう
お母様は「現在は」今の施設が落ち着くのでしょうね。。。


by rtfk (2012-11-15 19:37) 

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