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集団的自衛権について思うこと [杞憂]

硬いテーマで恐縮です。



(どうせアップは忘れた頃だから構わないちゃー構わないかも。)


いきなり身近すぎる話題から

先日 住まっている区の定例会議が開かれ
その席で 「近所のゴミの集積所のマナーについて」 というテーマで
討議をしていたところ


一人 結構なご年輩の男性が 
当初討議のセンテンスそのままに自身の意見を述べておられていたが

突然 こうのたもうた。



「だからワタシは戦争はイヤなんです。今回の自衛権については
絶対にワタシは反対です。

…そのことが云いたくてココに来たんです。 ワタシは戦争を経験しているから絶対に
イヤなんです。戦争はしてはいけません。」

と 激昂さながらに。

当然その場での議論と全くベクトルの違う内容であるのでさらっと
議題は正しい方向へと一瞬にして修正されたし
ご本人もその前提で喋ったのでしょうね
実際 とても見識のある方なんです。


私たちの住まう地域には あと十年もしないうちに 
戦争など経験した方の おられる単位は 数えられなくなるでしょう
すでにして 語れることの出来る人が 少ない

ワタシの母世代は青春を戦争で過ごした世代
それでもう 90歳近いのです


頭は クリアなのですが
クリアなりに 戦争体験はとてもツラいようで
あのお喋りの母が このキーワードに関しては
ようよう喋りません

このテーマについては 旬を過ぎるかもしれませんが
ようよう ぼちぼち キーを打って行きたいと 考えておりました。
(いかんせん 思考の進度が遅くて)

「美しい日本」 と 「愛国心」 はしばしば 御互いがとても近くに在るセンテンスのように
語られる

「美しい日本(「と私」含)」を唱えたヒトは 日本政治・文化史上にも数多くいた
現首相もその一人だ。

口を開くと
「この美しい日本を…」 とおっしゃっている

日本が 好きなんですねきっと。



「愛国」 を歌った知識人が多いのは 何も日本だけの特色では無いのだけれど

有識者の幾人かが 自らの命を自分の手で全うしてしまっておられたり
する

そこに至るまでの道のりがとても短絡であると思うのは
ワタシだけではないと思う
美醜の問題ではなく きっぱりと し過ぎているのだ。

漠然とした不安や 異界への憧れに通ずるドアを明けてしまった文学者も中にはいるだろう
けれども
総じて 声高に 思いを口にした人々は
まるで急(せ)くようにして 断崖へ通ずる道をひた走る感がある


まるで そうすることが生まれたときから決められているかのように
自らの命を賭することで なにかしか昇華できるものがある、と
思っているヒトのようだと
 
すなはち どこかしかに 「もののふ」・武士 の強い気配を漂わせている
何事かは 決して 新たに生成することなく
ひたすらに鋭く 一点の収束に向う

ありていに言って 「死」 ですね。


(振り返って我が国・トップオブザトップスの参謀としてぴったりとくっついている例の方も 
国防大好き・国防オタクと呼ばれている方ですが)  


閑話休題


振り返ればかつて

皆一様に 美しい日本とワタシを背負って「もののふ」は死んでしまったではないですか。


そもそも我々日本国民は 国が大好きで
こんなにも国を愛している
(しかも某国民のようにそれを他国を排斥することで大仰に身振りに出したりしない)


当たり前のように順番を守り
コトにあたれば他人に譲ることを知っている国だと思う
有事にあって 他人をいたわることを知っている
こんな国、世界中探しても無い


四方八方からいつ侵略されても可笑しくない危険のある島国であったという歴史の中で
まず 国ありき、で謙虚に立ち回ることを生きる知恵として身につけてきたから
ではなかったでしょうか


問題は
その美しく培われてきた愛国心を 利用するものがあるということ
しかも 利権の為であればまだ 自浄作用もあれ

「美しい日本」 を一歩手前のスローガンに掲げるのが イヤだ
そんなもので カモフラージュしないで欲しい。


「美しさ」に 転化する過ちの理由こそ アナタの中に 忌まわしいもののふの亡霊を囲っているからではないのか
と云いたい

それは

皆揃って 美しく「死へ向かおう」 
「若い男たちよ、ここへ集え」 とかなんとか 耳元で囁くアレではないのか


「戦後レジュームからの脱却」 と繰り返す言葉は
「復古主義」と 同等に聴こえる

三島由紀夫の事件が都度 頭をよぎる

確かに三島のクーデターに 国民全員が付き合ったわけではない
だが彼があえてあのような一見政治に対する意趣返しのような行動に出たのは
文学という懐刀は抱えていても決してそれが実効する権力ではなかった
からだった とも云えるのではないだろうか


それにしても 幾人もの 今後に華のある人生を謳歌すべきだった若者が

死を持って 「もののふ」たらん、とした 文学者として無二の 高潔な魂を 
自ら介錯する、という余りに暗すぎる時代の闇を心に背負わされたのだ


メディアも含めて そこかしこ 
戦後生まれのワタシなどがかつて嗅いだことの無いような臭いでぶすぶすと
くすぶり始めているような気がしてならないのだが


アイドルが 一時代前のプロパガンダ的CMに起用される時代が来ている
気づけばそこかしこ 『自衛官募集』 のチラシやハガキで一杯だ
「『自衛官』 てなに? 」 と息子に訊かれた
さて 何て答えればいいのだろう
「自衛権と関係あること?」
御免


母がコレまで理解していた自衛隊のあり方と国のあり方と
なんかスッゴク違ってしまっているんだよ

教科書の内容も恐らく 大きく変るだろうと 予想している。
あまりに小さな専業主婦の声であえて叫ぶんだが



ねぇ 日本って
私たちの住んでる足元にある国だよね


近隣諸国を煽りつつ 更に更に
「迫り来る脅威」 とか銘打って 私たち国民に展開している状況説明は
本物なの?

個人の愚かで些細な失態で簡単に幾度もひっくり返ってきた政権が
ほんのたまたま この国を何処に向かわせるつもりなんだろう


多数の 「国を憂い 国を愛する」 誤まった「もののふ」 の魂を拾い集めて植えつけて
亡国の霊で一杯に満たして満足なのだろうか
器の中身は国防予算というラベルをつけてか


守るべきは思想であり文化であり人そのものだろう
形骸化した文化遺産・あるいはそして誰もいなくなった「美しい島」ではないハズでしょう

何を於いても哀しいことはただひとつ


私たちはもう 子供たちに
憲法9条の意味を説けない
自衛隊と自衛権について子供の納得するような説明をするためには
この先ずっとウソをついてゆかねばならない


私たち国民を守り、私たち国民がまたそのために守ってきた
 (と聞かされていた) 
凛として美しい憲法が


いつのまに 手をすり抜けて いびつな楯の模様に縁取られていたなんて


恥ずかしく 
恥ずかしさに耐え切れなくて
他国の暴挙にセンテンスを置き換えて 「向こうが先に手を出したから」 と
ハッキリと 他所の国を嫌おうとしている

いや、
「あちらが手を出してからでは遅いから」 と
ちいさな子供でもくるしまぎれに云い訳しそうな理由で
やられる前にやろうしている

そうして怒りの重奏曲を延々と繰り返していくのだろう


近頃は新聞社ですら そういう色を出すことを躊躇しない
美辞麗句で飾ったって 判るものは判るんだ


私たちは ワタシたちを 恥じたく無いし、恥じている姿を 子供たちにも見せたくは無いのです。



今後
なりふり構わず煽りたててくるだろう国のプロパガンダに勝てはしないというなら



せめてどうか 志願して国を守ろうとする人たちがあるならば
矛盾を覚悟で お願いします。
誰に比べても 「臆病な」 自衛官になって下さいますよう
(与謝野晶子だな)




「誰のため(何の為) に生きるのか」 という問いに答えを出そうとしているのなら



「自分のために生きる」、
それが 全ての周囲の人々の為に生きるということに直結するのだということを
言い訳としてポケットの中に持っていて欲しい


美しい死は望まない
いや、
美しいと信じて散らした命はやがて 
見合った大きさの死臭を放ちながら  報復としての死の連鎖を連れて来るのだ



世界にゴマンとある実例を行政府が見てみぬフリをするには理由があると
若い人達はとうぞ  ここ・とばかりに正誤を見分けるフィルターを
自らの目にしっかりとかけて欲しい



集団的自衛権と 自衛隊募集
キーワードは この2つ 
いずれ なりふりかまわず 政府は仕掛けてくる




なにやらざわざわしたココロのうちを 書きました。




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