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名人に香車を引いた男。 [つれづれ将棋]

本のタイトルにもなっております。

升田幸三(Wikiより) 実力制第4代名人

(その昔 将棋の名人位は世襲制、だったんですよ、知ってました?)

名人に香車を引いた…
これは 升田名人の故郷を出る際の志を書きつけたもの、としても残っているようですし
実際に
大山名人(当時)に 三連勝して 当時のルールとして香車落ちで勝負の上 見事勝利、という
輝かしいレジェンドもお持ちです。
今はルールが違うから、このレジェンドは さすがの現・羽生四冠でも塗り替えられない、という。
(当然ですが)


詳細はWikiでご覧下され。 (興味のあるヒトは)
とにかく将棋界では まっこと 偉大な方です。


さて、つれづれ将棋。
なんでそんな偉大な人が ワタシのブログなんぞで取り上げられているのか。
(オソレオオイネ)


ワタシが小学生のみぎり、

当時のワタクシが通っていた小学校に この升田名人が
講演にいらしたことがあるのです。

(※もう何で当時小学生にむけて 升田先生の講演をやろうという企画が持ち上がったこと自体
今でもさっぱり 理解できません。当時の学校のセンスってどうよ?)


とにかくドがつく田舎の木造校舎。 後者と別棟で 『礼法室』 なんてものが おっ建てられている
そんな昔の小学校で

誰が思いついたか 確かに当時の 将棋好きの方々にとってはヒーローであった升田先生。
いや、もちろん
将棋好きでなくとも 升田先生の名前は当時 フツーの大人なら知っているというくらい有名人ではあった。

でも

田舎の小学校で
しかも

一般人相手の講演会というのならまた話は別。

村長さん総出で歓迎会をするとかならまた 別。


でも、実際フタを開けても
観客は 体育館に体育すわりをして待つ 1年生から六年生までの小学生(1クラスずつしかない) と
教務室の先生方全員

しか 居ない。


実際当日の朝、 うちの父母に
「今日、ますだこーぞーーって、将棋の先生が来るよ。」
と云っても

「はぁ?」 としか レスポンスがもらえなかった
本気で訊いてなかったと思うし

だいいち 学校からの「おうちへのお知らせ」にも 一行もそんなことは載ってなかった。

うろおぼえだが 高学年にはなっていた、と思う
当時の先生の顔ぶれがだいたいそのくらいの頃だった。


体育館のステージ壇上に 当時既に白髪のぼさぼさ髪の 和服姿のセンセイ、が
ぷらん ぷらん と体育座りの生徒達の裏手から歩いて上がってらした。

壇上のコップに 水を継ぎ足して おもむろに講演、は始まったのです。


さて

最初の数分こそ 将棋のお話でした。
対局する棋士同士の駆け引きや云々…
だが やがて

徐々にろれつの怪しくなっていくセンセイ。
どうやら アルコールをきこし召しているであろうことは
後に立って見ている男性の先生方の小声で判った。

次第に話の内容は
棋士の壮絶な戦いの現場、から 何故か
田舎は良い、スバラシイ、という話しになり

さんざこの辺りの牧歌的な風情をたたえた後に

「ところで田舎には素晴らしい風習が 明治の初め頃まで継続してあったが 今はすたれて
ヒジョーに哀しい」 という話に変った。

その風習とはすなはち なんであるか


「夜這い、というのを 諸君は知っておるかね?」 (当時ママ)  と センセイ。

小学生に 『夜這い』 の概念が判るか、と訊かれれば

当時高学年であり 多少はマセガキであったワタシは 単語としては知っていたけれども
あくまでアナクロい少年漫画のウケウリであり

実際にそんなものが行われていた時代からは遠く想像の域を出ない
現代っ子ではあったのです。


升田先生は 『夜這い』の風習が 如何に当時の出会いの少ない男女に良い機会を与えたか
また 相方が出稼ぎに出ている単身の嫁さんにとって 
あるいは独身の男性諸氏にとって


如何にスンバラしい生活習慣であったか、ということについて
熱を帯びた調子で語り続けるのだった。

最初はきょとん、としていた低学年の子たちも

一人、また一人と 真っ赤に怒った顔で退席していく教員(女性)の様子を見ていれば
「なにかたいそうなことが起こっている」 とざわつき始める

高学年の我々の大半は 理解していたため、なんというか
いたたまれない気持ちになってくるわけだ。

教員(男性) はただ ヘラヘラと笑っている
今でいう セクハラへの完全なら同調、というわけだ。
ワタシの担任(♂) などは実に下品に楽しそうな顔をして 腹を抱えて笑いをこらえていた。

しまいに

『夜這い』の 御作法について  センセイが
微に入り細にうがち 説明を始めだしたので
さすがに

「え~。ゴホン、お話の途中ではありますが、そろそろお時間も少なくなってまいったようですので…」

司会を務める教頭先生が 半ば無理矢理 話の途中でフタをしたのだった。


センセイ、は 結構アルコールが回っていたのだろうか

話しの腰を折られて 終わったことについて
大して不満を表明するでもなく

ふらふら とっとと 段を降りていったのだった。



のちにこの著名な棋士による 「講演会」について 何処で知ったか 父親に

「イイ話し、訊けたか?」 と 問われたワタシ


「ハイ。  大変良い話を 聞かせていただきました。」

と 当時いたいけな 小学生であったワタシが 云ったかどうか。



子供ながらに いたずらっ子のように 奔放に笑い、おしゃべりし

(そして 当時の若い女先生達を あっという間にプリブリさせたことで)

この 将棋のセンセイ、は 只者じゃないなぁ、と思った次第です。




大人になって

どういうわけか 自分の子供、が将棋を楽しむ子供になり
そうして
そのようなルートで 偉大なる先輩として 升田先生を改めて見るようになる
なーんて


当時は 思いもしなかったことなんですよねぇ。  わはははは。



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縁台将棋。

photo by『足成』



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ryang

縁は異なもの味なもの。ですねぇ。
うーん、こういう出会いはなかなかありません。
しかし最近はいろいろ規制があってアレですが、
昔はピー‼音なモノ、身近にありましたよね(笑。
by ryang (2014-08-31 20:46) 

cassis

● ryang さま ありがとうございます^-^。

今なら速攻 「セクハラ」とか云われたのでしょうけど
おおらかな時代だった…(のか?)
女性の教師が真っ赤な顔して(怒って)退席する様子に
ペロッ と舌を出した先生のお顔が思えばチャーミングでした。
当時のワタシはアンチフェミニズムだったかもw

by cassis (2014-09-01 22:41) 

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