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『昭和の犬』とアラフォーとその時代。 [遠距離介護]

250.jpg

姫野カオルコ 氏が直木賞 を受賞されました。

(Wilipedia→姫野カオルコ)


この方は1人っ子であり、学生時代から親元を離れて生活され
時折小説誌に掲載される自伝的な内容の掌編でそのことについて触れておりました。

同年代で1人っ子ということで単純に親近感が沸き
初期のエッセイがまた 抱腹モノで
好きな作家の1人でしたが

数年前 『婦人公論』 という雑誌で この方が
私の遠距離介護」 というタイトルだったか 体験談を寄せられており

その内容が当時いちいち身につまされて( ワタシだけじゃないだろうなと思います )

しばらく ちょっと心が折れそうになると繰り返し読んでは

「ワタシだけじゃない、ワタシだけじゃないぞ」 的な

『寂しいのはオマエだけじゃない』 的な (・・・誰か覚えている?)
後ろ向きなワタシのオピニオンリーダーとして 心中奉っておりましたが

・・・・今回の受賞作 『昭和の犬』 がその辺にかなりタッチされている内容らしく
珍しく 刊行直後に 買いました。

(・・・しかしまぁ、地方のブックストアなんてこんなかな というほど地味な平積みでした)


あいかわらずちょっと独特の とっつき難い文体でしたが
読み進めればリズムに乗れるし、何より今まで余り知れなかった生い立ちの部分とか
当時の父母との関わりとか細やかに描かれており
そこにその時代時代で 飼われていたり 関わったりした
犬達との エピソードがうるさくなくちりばめられておりました

キーポイントになる犬が
ちゃんと「犬」の分を 超えていないのが良かったです
ヘンに擬人化された犬だったり エピソードが泣かせるようなものだと つい
ウソくせーーー 
・・・って思う 年頃です。(コラ

犬は犬の 猫は猫の本能に従って生きるものですから

以上でも以下でもない 動物としての犬がそこに居る感じが心地よく
ああ、自分も犬と関わった日々、他人と自分を測り
自分自身を測り そして自分の居場所を捜していたな、とか
大人の得体が知れなくて恐怖だったことなどとか
今思えば 大人に取って自分は得体の知れない存在だったかもとか

今にして大人目線で見る「当時の自分」 とか (ショウジキムカツクタイプ)


・・・早い話、昭和の当時の 当たり前な時代の臭いや
昭和の人である読み手=自分自身の影みたいなものと ピッタリ重なる部分があり
感慨深かったです。
やんぬるかな1人っ子・・・こうなる、こうなる。うべなるかな。

(この「うべなるかな」というフレーズが本編のそこかしこに出てまいります。
「むべ」 の副次なんですよね
ちょっとした語彙への違和感を持たせたりするのは作者の仕掛けなのでしょうか)


小タイトルが昭和当時を席捲した洋もののテレビドラマのタイトルになっているのが
『テレビ探偵団』 フリークの付け入るスキを与えていて? そこは泣けます。
(それはまたそれで 別の目線で)   

作者はごく軽く触れるにとどめていますが後編部分で
自律神経に初期変調の兆しとして現れる症状について 描いている箇所があります


振り返るとワタシも二度ほどこの変調に悩まされていた時期があり

理由も無いのに突然涙が滂沱と押し寄せてくるのに参ったことがあり
(精神的なダメージを放置しておくと身体的な変調として出現します
曰く:体は正直)


ああ、こうなるこうなる
とページの向こうの単位の知れない読者にうなづかせてしまう チカラのようなもの

近年の最小公倍数的カテゴリーの中では
今回の彼女の受賞が

ワタシ的に しっくり来た、ということに他ならないです。
極めて個人的な感想です。
少なくともこういう環境で育ってきた一人娘がこんなことを思いながら
こんな感じに育っていく 場合もあるぞ、という


あくまでタイプブロックの1つだろうなとは 思います。

しかしまぁ 新刊、やっぱり安くないよねー(泣











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故郷(ふるさと)。 [遠距離介護]

『メダパニ』 顛末の翌朝

前日のうちに頼んでおいた介護施設の車が
早朝 母親を迎えに来た。
こちらとしては 人工透析ボーダーライン上にいる母親に 虫の居所だけで
これ以上ハンストされても困る、という・・・のは建前上。
正直、居ないほうが物事がはかどる。 

最初、迎えの時間が早すぎる、とかなんとかブツブツ抵抗していた母親も
慣れたスタッフの顔を見たら気が抜けたのか 大人しく車に乗り込んだ。

その後 
なんだかんだはありましたが

実家の当面の片付けを終えて、自宅へ戻るべく出発したワタシ達。
この実家も 空き家になります・・・。


最後に 母親の居る施設に挨拶に寄った。

自宅を出て僅か数時間後・・・母親はすっかり大人しい普通の老人、になっていた。

訊けば施設スタッフに労われた際 深々と頭を下げて
「その節はありがとうございました」 と礼を述べたという。

「何日ぶりで落ち着いた。ここは、いいね」  ∠( ゚д゚)/ 「え」

あろうことか(・・・ホントは普通の事だけど) ワタシの顔色を見て

「疲れたんだろ・・・寝てないんだものね」 と気遣いを!!!!!!   (あんびりばぼーーーー!!!)

施設でお茶をいただいて、しばらくぶり、ワタシと旦那と息子も、一息つく。
カフェテラス様式に広がった共用スペースが明るくて

なんだかココ四日の出来事がみんな 嘘みたいに思えてくる。
嘘だったらよかったのにぃ、というのではありません。
「現実感」 なんて所詮、後から勝手にヒトが付け足すものだと思っています。


スタッフの皆さんが一人ひとり、丁寧に悼んでくれ
涙目で言葉をなくされる方が いらした。

父が、短い滞在だったがそれなりに愛されていたことに感慨を抱く。


やがて帰宅の途へ。


帰りの車中でつらつら 考えた。


上手く云えないが 母親は自宅にいるより 施設に居たほうが きっとイイ。

旦那様に云ったら、同じことを思っていたそうだ。


実家。
今 美しい紅葉で溢れ還るところ。
四季に埋もれるようにして 家々の点在する 秋には宝石のような 里山。

あの余りに小さなコミュニティは なんだか戦場みたいだ。

そこで暮らしていくということは
日々、前線にいるようなものなのだ。

お互いがお互いを傷つけあいながら 
あまりにも小さなラインを死守ながら 暮らしていく。 

外から来たヒトを容易に受け入れない それよりおろか

コミュニティの構成要員である自らをお互いに削り落とすべく
やっきになっている。それを日常、と呼ぶ小さな「社会」。

代々続くエゴイズムが高分子化し、自ら破裂寸前。
それが地方辺境部の淘汰、の姿なのか。
一見 穏やかに過疎化していくかのようなムラ社会、は

容易に覗ける裏側で、かくも壮絶な醜態を見せつけている。・・・

あの中でもしも暮らしていくならば、早晩ワタシも
母親のコピーになるのだろう。

いや、ムラそのものの、コピーになるのか。


秋の紅葉が眩しい午後。


ワタシにもかつて 帰りたい故郷があって、懐かしい場所・食べたい物があって 
会いたい家族が居たのです。

月並みだけれど
ワタシの記憶に 1シーンずつ 貼りついている。

もう触れないけど 確かにあるんだし。

きっとこの先 ワタシの描く『故郷』 は

それは 
ワザと剥がさずに於いたシールの 断片。

いずれワタシのいいように 脚色されていく世界。


もう それでいいや、と 思ったのです。



DSC_0503.JPG


ああ今日は好い天気だ

路傍の草影が
あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故郷(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる

(中原中也 『山羊の歌』 「帰郷」 より 抜粋)



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葬儀狂走曲。(その2・お布施編-②) [遠距離介護]

父の葬儀にあたり 叔父から口酸っぱく

「お布施のことは前もって確認しておいた方がいい」 といわれていた。

あってないような金額設定
それでも払わなくてはならない
それならぶっちゃけ訊いてしまえば早い。
そこで

叔父とワタシとで両方の詰めろ作戦で訊く事にした

打ち合わせがひとしきり終わった後

1人になった若方丈を 「あの」 と捕まえ

「・・・それで お布施はいかほど・・・」 と

訊いてはいけない。 なぜならお布施は支払う方の気持ちなので
気持の値段を訊いてはいけない、というのが このあたりのオキテなのだ


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葬儀狂走曲。(その2・お布施編-①) [遠距離介護]

父が生前の事。

叔母の後を追うようにして、アルコール性肝炎で亡くなった叔父を見取り、
後始末一切を執り行うことに(ハメに)・・・なった父が
私が知るうちでもっとも困っていたカオを見せていたこと。・・・・

「葬儀」 である。

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葬儀狂走曲。(その1・費用編) [遠距離介護]

葬儀社の手配までしてくれたKケアマネから

「これだけは。」
・・・と念を押されていたこと。

「お父さんの死亡が確認される前に、お父さん名義の金融機関から預金を全額降ろしておきなさい。」

でも良く考えるほど、・・・これはワタシの立場では無理だ。
金融側に 「当該者の死亡を知られずに」 預金を引き出す、ってことが、土台無理なのだ。
ワタシは父の身内(娘)とはいえ同居していない。
したがって、生前でも、本人の同席なくして、預金をおろすことはできない。
父の預金は、同居の配偶者である母親ならば可能だ。がしかし
母は車椅子生活のため、自分で金融機関に赴く事ができない。
金融機関によっては、本人の居住地まで来てくれるが、・・・
ならば自宅まで来てもらって母親が父の預金を引き出せば良いのでは・・・
自宅に来てもらって、そこに横たわっている遺骸が「父」であることを
金融側が確認した時点で、父の口座は即座に凍結されるのだ。
いわゆる「バレバレ」な状態。
八方塞り。そんな美味い演技が出来るほど身内側は、精神状態が充実している今、ではない。

高速道二時間半、ぶっとばして帰還した我々は、
三々五々、自宅に戻っていく隣組の面々を見送りながらぼんやり、

「費用、どうしよう・・」

のスパイラルに陥っていた。・・・


葬儀屋のメンの1人、は葬儀社の社長であった。
慣れた采配で、今後主催の我々が葬儀の一連でなすべきことを箇条書きに説明してくれる。

「費用は極力、勉強します。」

しかし、費用の工面まで面倒を見てくれるわけではない。
老親と離れて暮らしている方、万が一の場合に、
今日の明日、で自由に出来る金額が手元にあるか、
これ、とても大事です。
場合によっては、葬儀など当面の費用、を配慮して工面のできる
金融機関もあるようなのですが・・・

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父、逝く。 [遠距離介護]

断り書き:

(ありふれた或る出来事。
ある老人 老いた父  ワタシの息子の祖父の 死。
一人娘が 残しておきたい 忘備録。) 

11日 木曜日。
息子が近所の友達の家に遊びに行き、帰りに焼き鳥を買って帰る。
(・・・いや、自分の意志じゃなくて、予めお使いを頼んであったのだが)

木曜日恒例で、ワタシが大好きな焼き鳥だが、近頃それだけじゃ飽き足らん、という
旦那様のため、買ってきた生ハムで何か作ろう・・・と準備していた頃。
いつもの日常。

電話が鳴り
「〇〇病院です。・・・お父さんの容態が変わりました。」

ワタシ、
「容態が変わったというと、具体的にどう変わったのですか」
こういうことは、わざわざこちらサイドで察してやるべき事象ではないと思う。(←イジワルクネ?)

「・・・呼吸が止まりそうです。すぐ駆けつけられるご親族か誰か、いらっしゃいますか?」

速攻電話を切ると 本家の叔父に連絡。不在。
母の施設に連絡。とにかく、送り届けてもらって 
なんとか間に合うように・・・

「先方に誰か居ないと、お母様を送り届ける事ができませんので・・・」 と施設長。
ぬぬぬっ。
・・・・・・
ええいっもうっっっ。
あわてて近所のTさんに連絡。
すぐに駆けつけてもらう事に。それから母の施設に再度連絡し、すぐに母を送り届けて欲しい旨伝えて
ガチャンコ、と受話器を下ろす。

そのすぐ後に 本家叔父さんの家から連絡有り。
叔父が出先から引き返して病院に向かうので
ワタシはすぐに支度をして 帰省の途に就いて欲しい、と。
旦那に連絡をし、父危篤の旨伝え、
支度をしながら
「あー・・・喪服をどうしよう。・・・きっと要ることになると思うけど・・・準備して良いモノやら・・・」
と アタマで考えながら、あまり手がてきぱきと動かないという
ありがちではあるが自分がそうなる、というのが不本意な状態に陥っていた。

電話。
主治医のH先生より。

「お父さんなんですが・・・・。わたしが病室に来たときには既に呼吸が止まっていまして・・・。
すみません・・・。」

ワタシ

「何時何分でしたか?」 (ドラマみたいねぇ、とアタマの中のワタシ)

先生
「17時30分でした。」

ありがとうございました。と 云いました。

それと、ワタシが病院に着くまで少し時間がかかりますが、それまで・・・

「それまで、お父様は別室でお休みいただきますから、気をつけて来てください。ほんとにすみませんでした・・・」
お医者さんが「すみません」を連発している事態が、少しだけ可笑しくなってしまった。

そう、つい昨日、念を入れて

「ワタシ、帰省はどんなに急いでも二時間半、かかるんです」

「わかりました。少しでも変化があれば出来るだけ早くお知らせするようにワタシも注意深く見ていますので」

・・・という会話を交わしたばかり、だから。
それだからって、仕方が無いことは充分承知しているのに、謝ってくれるのかぁ、と。

帰宅した旦那様に 父の死を告げ、喪服を支度し(実はちょっと用意していた)
、車に乗り込んだ。
誰一人、間に合わなかったという事実が妙に、すがすがしかった。

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父の。 [遠距離介護]

父親の主治医に呼ばれるのは何度目だろうか。
先日電話をもらったときには かなり実はマズかったらしい。
父親の血圧は最低度に下がり、危篤レベルに行ったためにいただいた℡だったようだ。

そして今回、先生のカンファレンス予定より一日早く、息子の秋休みを利用して帰省。
父親の病室に入る。
父は

両手に拘束手袋をはめられていた。
その手袋のまま手を挙げて挨拶。
ますます、痩せましたなぁ。
うなづいて、うっすら笑う、父。

傍らには複数のバイタル。
大腿部から伸びる幾本ものチューブ。

ワタシは質問しなかったが
病室に入ったのを見て取ると、看護師がとてもすまなそうに

「・・・ごめんね、お父さん、夕べチューブ抜いちゃったものだから・・・。」

入れ替わり立ち代り入る看護師は
複数のバイタルと点滴のチューブを前に

「どれがどれやらさっぱりだわねーー」 と 身内が聴いたらそれヤバいんじゃないの? という発言を
幾度もかましていた。(あ・・・ワタシが身内か)

父は少し哀しそうな表情で 手袋を嵌められた両手を私の前に差し出す。

「・・・どっか辛いとこ、ある?」
大腿部を指差す父。

父がどこか痛い、というのを今日、初めて聴く。後で主治医の先生に話してみよう。
父は

ワタシの左手を弱々しく引っ張り 何か言いたげ。

「俺は・・・・・もうすぐ・・・・#$〇☆・・・・仕方ねぇな・・・・・。」
半分しかない舌が、只でさえやせさらばえた喉元で、ひっかかって聞き取れない。

「なに? 解かんないよ。書いて、ペン渡すから。」

・・・と云っても、拘束手袋の前になすすべなし。
父はただ、黙って力の無い目で 手袋とワタシを交互に見ている。
そのうちに両手を胸の前で合わせた。・・・

突然、父の言いたいいろんなことが一度に頭の中で 「解って」 しまい、
息子が隣に居るのに、呆然と、しばらく固まってしまって困った。
駄目です。ワタシの準備がまだ出来てません。

「・・・何云ってるかなー。困るよもぅ。まだそんなにクリアな頭脳(アタマ)で、
まだまだ・・・もったいないでしょう」(笑)

笑ってしまった。
笑うしか無いというときも、あるのだと思う。
我ながらこのシチュエーションでKYの極致だな、と思った。・・・
そうして動かない空気を飲み込んだ後、ワタシも黙ってしまった。
モノを喋れないひとの前で沈黙は良くない、と知っていつつも、次の話題が出てこない。

このまま沈黙が続くと色々困ってしまいそうだ。・・・ええと。

「あ、家の屋根の話、したっけ?」

父がずっと心配していた、実家の屋根の融雪。
心配して訪ねてくれた業者さんが
冬の間中、スイッチの面倒を見てくれる事になったのだ(無償)
「これで、何も心配いらないねぇ」

否、違うちがう。そうじゃなくて。こーいうとき、いったい何を話したら
ヒトは希望を持つの?

「詰めろ」のかかった将棋指しみたいに 心の中でうんうんうなりつつ
次の一手を探すワタクシ。心に脂汗。(カオはヘラヘラ笑ってるのにぃ)
 
と、タイミングを見計らったように主治医のH先生が病室を覗いた。

「やあ、今日おいでになってたんですね」(笑顔)

・・・今日、良ければこのままカンファレンスに入れるか、とのことで、了解して
息子と別室へ。
息子は当初、一緒にいる、と云ったのだが、なにやら微妙な空気を察したのか、
ボク、おじいちゃんの病室に戻る、と出て行ってしまった。

先生のお話によれば、先日の「非常にヤバい状態」、は脱したそうだ。
「まだ安心はできないのですが。」
前置きの元、
ヴん、とスイッチがうなった表示板のCTの画像を覗くと、先生が

「この白い影ね」
水が溜まっている影、と 肺が炎症を起こしている影。
そして
「コレが腹水、ですね」 くっきりと下腹に。

・・・そうか。もう、こんなになってしまっているのか。父の体。

「・・・肺の様子を見ながら、今投与している薬が効けば少しは・・・・。」
一通り、説明してもらう。
「それにしても、全身状態が良くないのです。」
つまりは多臓器不全、ということだ。

「・・・なにか他に話しておきたい事や、聞いておきたい事はありますか?」

・・・食べさせてあげてください、とお願いしようと思ったのだが、・・・
今の段階で、もしも少しでも現状からの回復を見据えたならば
あまりにリスキーなお願い、であることは承知していたし、
黙って考え込んでいると

「・・・食事のほうはね、お父さん、どんな状態でも食べる『意志』 は持っていらっしゃるので・・」

そう、そーなんですよ。「食べたい、食べたい」っていつも云ってます。

「様子を見ながら早い目に食事のほうも与えてあげたいと思っています。」
と先生。

え、食べれるようになるの???
ほんとに?

この時はホントに驚いたし、嬉しかったのだ。

少しだけ希望を持てたように思った。
どんなにちっぽけでも、現状よりはマシなら、それは「希望」に違いない。

病室に戻ると、看護師さんが気を利かせてくれたのか
手袋がはずされていた。

父はあんぐりと口を開けて、眠っていたようだ。
枕の中に落ちてしまってる人、みたい。
片方の目が半分開いている。息子が

「おじいちゃん、半分起きてんのかな」 とうっすら笑った。
白いボードに、

「土曜日、また来るね」

と息子が メモを書いた。


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めまぐるしい。(2) [遠距離介護]

Kケアマネから連絡が入る。

父が入院したことを受けて、新たに考えが浮かんだようだ。
「お父様とお母様の所属をコレ(父の入院)を機会に元に戻して・・・
そのためには、公的サービスは一日が常にスタートだから、今日は28日。
今日中にお母様に連絡をして納得していただければ・・・。」

一度は断った(話が急過ぎてムチャかも)・・・・が

考えてみれば、所属がKケアマネに戻れば
自宅に戻りたがっていた 母親 の要望も早期に実現され
父親が病院に居る間、明らかにK:ケアマネの所属に戻ったほうが
頻繁に様子を見てもらえる上 月に一度の
通院もお願いできる。・・・のじゃないか、と 自身の都合も含め
理想的な展開ではないのか、と思いなおし始めた。・・・

それを実現するためにはあまりにも日数が足りず
尚且つ、このワタシ自身、一日に二往復、二時間半の高速の道のりを
走らなくてはならないハメになるが・・・それでも今後のことを考えると
俄然メリットが多い話ではある。・・・

再度ケアマネに連絡を取り、云われるまま、母親に連絡をする。
リミットは、受け入れ施設側がレスポンスを待ってくれている間の一時間半。



「・・・〇〇、ということで、どうよ?今回の話・・・。」

母(寝起き):『そんな急に言われても、なんだかわかんない

「そこをなんとか、考えて欲しいんだけど」

母(寝起き):『・・・考えられない!』  ガチャン。

・・・半ば予想はしていましたが・・・(苦笑)



再度ケアマネに連絡を取り、その旨ご報告。


「今回のことは無かった話で・・・申し訳ありません」とワタシ。

・・・「そーよねーー。ワタシも焦り過ぎたわぁ・・・。」[わーい(嬉しい顔)][たらーっ(汗)]

話はこれで済まないワケで・・・。



きっちり、翌日。

またしてもKケアマネから連絡有り。

母の施設のRケアマネより、
「(母)さんが不安を訴えています。自身の所属が不安定なことで・・・。」 と相談があったそうだ。


良かれと思ってしたことは誰のためにもならなかったワケだ。
まぁ、人はやってしまってからでないと気づけない、というのが教訓ではある。


今までと比べて、意外なほど、KケアマネとRケアマネは 
「話し合って」 くれている、と思う。
情報の共有は、別々の施設の所属の お互いとしても決して悪い話ではない、と思う。

たまたま、ウチの事案、ではありますがね。



ところで
「お父様が入院されたのだから、当然、今週はこちらに戻られるわよねぇ?」
とケアマネ。

ええ。戻りますとも。

「これから戻ります・・」

「ええっっ??今日、平日じゃない。そんなに無理したらあなたの体がもたないわよぉぉ」
・・・ぉぃ。


こちらにはこちらの事情がある。今日、夕方までに帰省するのだ。


そうして母親の施設へ顔を出し、冬服だの要望のお使いをこなし
父の病院へ行き、手続き書類を提出し、
実家へ一泊・・・。

相変わらず、、不在にしている父・母のこと以外の、家に関わる諸々を
ご近所の方々に相談され、提案され、「命令」され・・・・

(純粋に家族を気遣う気持ち、というものがココで見る見る疲弊し、消沈して磨耗していく。)



それでもこのたびはぜひとも実行されねばならない
家族のプロジェクトがあるのだ。

DSC_0325.JPG

運動会の空。

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めまぐるしい一日。 [遠距離介護]

うららかな日。

父が現在 暫定的にお世話になっている施設から
電話。

Rケアマネ。(現在 暫定的に父・母の担当)(しつこいか)

「十月一杯、部屋の空きが確認できましたので、お父様とお母様をお預かりできます。」

「お父様の方は・・・日によって調子がまちまちでして、介助で歩ける日もあれば・・・
全く立ち上がることも出来ない日がありまして・・・。」

立てる日も、あるということだ。
いいほうをとろう。

とりあえず十月のステイ先・確保。

その数時間後。

「実はお詫びとご報告なんですが・・・。」 と 同施設の男性介護職員から。

「・・・お父様が・・・ちょっと目を話した隙にベッドから転んで・・・」[ふらふら]

車椅子を使わずに歩こうとして、ころりんとしたまま しばらく動けなくなっていたらしい。

「アタマと足を少しぶつけた、とご本人より・・・。たいしたことは無い、というので様子を見ていますが、
食欲もあるようですので・・・。」

歩きたい・歩かねば、という意識があるのは結構だが(母親にはかけらもない)、
ムチャ=復帰への道が遠ざかる
という考えまでは至らなくなってしまった。

怪我が無いなら、それでよい、という話にして、今後とも宜しく とにごした。

この場合、家族からクレームを入れる、というパターンは存在するのだろうか。
もちろん月々の介護料金は結構なものをとられているのだが
不思議と家族の心理としては卑屈なものである。

自分達ができないお世話を代わりにしていただいて ・・・
みたいなニュアンスが介在していて身のうちが痛い、と思うのは
ワタシだけだろうか。


さてその数時間後。
またしてもRケアマネより電話。

「・・・お聞きになってますか?」
「は?」

「お父様が・・・今日の午後から入院と云うことに・・・」
「・・・はい?」[がく~(落胆した顔)]

足の浮腫の様子から、どうも腎不全の疑い有り、ということで
抗生剤と利尿剤を点滴して様子を見る、という内容らしい。

「とりあえずの下着や必需品は持たせてありますので・・・。」

ぼーぜん。


ゴールまであと5コマというところだった・・・と思うのだが


『振り出しに戻る。』


みあげた 遠ぉぉい 空。


DSC_0331.JPG

9/24 息子の運動会の日に撮ったもの

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父、退院。 [遠距離介護]

前日に実家に帰省。

父の退院後、そのまま移動する施設での滞在仕度。

入院のフルセットはそのまま使うことにして、施設なので私服の準備。
父のタンスを開けると、私服その他でぎゅう詰めの母のタンスに比べて
すかすかなくらい、何にも無い。男性ってこうなのか。
いや、単に母親がケチ、なんだと思います。あんまり父親のものを買っている姿、
見たこと無いしなぁ・・・

(あー、でもウチも似たようなものか・・・。)

当日。

朝から時間に追われている私。
今日はなんとしてでも、午前中に総てを終えて、自宅に帰らねば、

息子が学校から帰ってくる時間に間に合わない。高速二時間半。
「音速の貴公子」 ではないので、この壁を破ろう などというチャレンジを企てると
命が危ないのだ。

病院到着。
覚悟はしていたが、してはいたが、
4階の入院部屋、とオモテの駐車場、とを

四往復、しました。(泣)・・・うぇぇん。単身は辛いよぅ[もうやだ~(悲しい顔)]

途中で見知らぬオバサンと一緒になったエレベーター内。

中の張り紙には
「入院患者様・身体の不自由な方・車椅子の方のためのエレベーターです。
該当者以外の来院者・職員は階段を使用しましょう。」 ・・・ と書いてありますが

「・・・とてもじゃないけど、ねぇ。四階まではねぇ。・・・この歳だしねぇ。」 とワタシの顔を見てオバサン苦笑い。
ええ、ワタシも無理です。(-_-;) この歳にはもうちょっと間があるけど無理っす。

一方 父は、私服に着替えて入院時に背負ってきたリュックを抱え、
ベッドにちんまりと腰掛けている。

看護師さんが来て、ワタシを見て
「・・・おじいちゃんね、おウチに帰るつもりで居るのよ・・・何度か話してるんだけどね」
と苦笑い。

こちらはかなり苦い。(^_^;)

病院に着いてから、退院の手続きを終えて外に出るまで 実に一時間半。
万全の退院の用意・・・をして来たハズが
後から後から、外来の歯科の料金・売店の売り掛けなどが
(日常使いで足らないもの・大人用紙パンツ、などはココで看護師が調達)

別の支払いに席をはずした隙に次々と降って来る。
戻ったらベッドに請求額が貼り付けられて、なんてことも。
(ヤミ金の張り紙ですか、と。)

まとめて一度によこす、という気遣いはしてもらえないらしい。


それでもなんとか総てを払い終えて、外の車まで車椅子を使おうと、父に促す。

「・・・靴を履こうか。」

ふと見た足が、スリッパのままだったので・・・ところが本人が首を振る。
・・・よおく見ると、この間まで枯れ木のようだった足が、

パンパンに腫れ上がって 丸太のような足に。
・・・これはまたなんと・・・。(・_・;)

浮腫、てヤツですか。

少しでも車まで歩いてもらえれば、などという期待は消え、
男性用スリッパでさえも窮屈そうに腫れ上がった足をよっこらしょ、と車椅子にのせて
看護師さんにお手伝いいただきながら病室を後にした。

看護師さん複数人がナース室の前に居て、

「ほら、おじいちゃん、退院するってよ。アナタ」

と、口々にご挨拶。ご老人、まんざらでもない様子である。
話せない口で、「世話になった。」 と 
一人ひとりに手を振って応える父。
中の1人の看護師さんはハグまでしてくださる仲だった。
(あばら骨の本数がすっかり解るまで浮き出た父の背中が
逞しい看護師さんの腕で折れやしないかと本気で心配になる。)

看護師さんの手を借り、玄関に付けた車に文字通り父を 「ほおり込み」、
病院を後にした。
車中 口を一杯に開けて「笑顔」の 父。

「二ヶ月ぶりの外はどうよ?」 と聞くと、うんうん、とうなずく。

一路、母の居る施設、へ。

現地ではあくまで臨時、の母のケアマネが、待ってくださっていた。
父を車から引っ張り出して、部屋へ。母と一ヶ月ぶりのご対面を果たす。
母の一言。

「・・・車椅子の練習をしなさいよ。アタシみたいに。」

・・・いや、そうじゃなくて、歩けるようにならないと、
家には帰れないんですけど・・・・(´Д`ι)

それから約一時間、山のような契約書類に記入・捺印し
父の私物を部屋のタンスにぶち込んで
さぁ、あとリミット3時間。高速飛ばして間に合うか・・・・。

そんな時です。母親が

「あのね、ココ一ヶ月の着替えが足りないんだよ。」 とか言い出して・・・。

ええ~。今からもっかい実家に戻るのぉぉ~[がく~(落胆した顔)]

「これから寒くなるときもあるだろうし、上着の一枚も欲しいんだけど
オマエ、家から持って来て。」

それを聞きつけたのか施設の看護師が

「お父様の足が腫れているから、座布団が一枚、欲しいのだけど・・・。」

・・・戻ればいいんでしょーー。[もうやだ~(悲しい顔)]

迫る時間。

こうなれば、といつもは余り利用しない、近道の山側の農道を走る・走る。

ところが、・・・

にわかに掻き曇り、あっという間に土砂降りの雨が。

あと一K足らずで実家に到着、というその道のど真ん中、に、
 一本道にもかかわらず「通行止め」 の看板。

なんなんだーーーーー!!![むかっ(怒り)][パンチ]

・・・・天を呪い、思いつく限りの悪態をつき、元来た道を引き返す。

倍以上の遠回りをし、びしょぬれになり、空を睨み、実家と施設を 往復するオンナ。
しかも片手に座布団・・・・。

なんにも云わず、父の部屋に座布団を放り込んで、
母親に上着を渡し、帰るワタシのびしょ濡れ背中に

「今度来るときは、お菓子を買ってきて。・・・ここの皆さんに配るんだから。
みんなそうしてるから。」

「あ、それとね、今度はアタシが読む雑誌、も忘れずに買ってきて。二冊くらい。」
・・・・

撃沈。[スペード][たらーっ(汗)]

夫婦共、イレギュラーな滞在という事態を抱え、
一向に先が見えないこの現実。
解っているのかどうなのか

はたから見れば車椅子の 2人仲良く
『おもろい夫婦』 みたくなっている。

家に帰って、父の私物のリュックを見たら、
明らかに病院のものである 消毒ガーゼ、の容器が 出てきた。
考えるアタマもなく、目の前のものを突っ込んだのね。[もうやだ~(悲しい顔)]

あぁもう返しにいくのもめんどくさい。・・・・・・



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