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「親を看る」 と云う前に [介護・番外編]

3年前、父は病院で逝った。




最期になる入院直前まで 介護施設にお世話になった。
実に短い間だったが
父の施設生活は きっと充実していたであろう、と思う。


憶測の域をちっとも出ないけれど 少なくとも


父に支援の必要だった期間
その道の「プロ」 に 看ていただいた、という確信がワタシには在る

そして
痒いところに手の届くようなケアを例え短い期間であったにせよ

してもらえたことは 有り難いと思っている
というのは
ワタシだけの感想ではなく
きっと
父も (そして今や母も) そう思った(ている)に違いない。




ずっと子供の頃から ワタシの烙印は父・母とも共通に
「気の利かない」 娘であったため
年老いた父母がワタシを頼らない方向で
将来設計を描いていたのは当然だった、と云える。


だがしかしなんらか道筋にエラーが起こり
突如として
「長女たるもの」 というにわか家訓が出来上がっていたワケで


ひとえに

加齢の所以だった、と思う(今は)。




何故今にしてこんなことを書くのかというと
先日

介護をテーマにしたコラムを目にしたからで
そこには



「親の面倒は何があっても極力自身で看たい」 と
仕事を辞めてしまうヒトについての記事があった。
(その記事はたまたま男性の介護者について書かれたものだったが)



極力面倒を見る子供寄りの内容だったけれど




… どうなんでしょう
ワタシがもしも この人の親だったとして


自身の意思が伝えられるかどうかはおいといて
俯瞰目線で見てみれば


そんな状況が 嬉しい、って思えたりしたとして

孝行息子に育ててよかった、って嬉しくなったと仮定して
それ


正しいのか?  という疑問がわく。
それは
親のエゴなんかではない、と 言い切れるかと。

あくまで今の立場から、介護される立場になったら、という
想像の元ではあるが

ワタシは
ワタシの面倒を見させるために
子供を育てていたんじゃろうか、という疑念が沸くのではないだろうか


まぁ、それでも面倒を見てもらう立場になったとしよう


プロではないのだから
どうしたって 介護の隅々に 未経験なりの甘さや荒さが出るだろう
例えば介助装置をレンタルできたとして
足腰の不自由な人を 風呂に入れたりするのは至難の業なのだ
それを
例え自分の肉親であったとして


なれない手つきでどんなに一所懸命にやってもらったとして


「ヘタクソ」 なものは「ヘタクソ」なわけで
(実体験ですわ)

「ヘタクソ」 にやられるほどに 不自由な箇所に掛かる負担は大きくなるから
いらいら、ぴりぴりするわけで
そんなときは 肉親だから遠慮するのか
肉親だから 腹を割るのか、は知らないけれど


不自由な体に負担を強いるような不調法なケアをされるのは
当然不快だから
きっとカオに出る、と思うわね。

それで
じっと耐えてきただろう子供を ヒドく傷つけることになるとしても
いい加減highな 年齢域で アレモコレモ、とガマンしてるのはイヤだもの
例え 肉親でも、いいや
肉親だからこそ
ガマンの仮面を被っているのは 耐えられないものなんじゃないかと思うのだ。



けれども 一方この子はワタシのために仕事も辞めて
生活の全てを犠牲にして 面倒を『看よう』 としている
あまつさえ

このワタシに 『感謝』 の意を求めようとしているのに
肉体の不快を訴えようものなら ワタシはきっと
「人非人」 扱いされてしまうやも
だから
だから

だからって



ヘタクソなものはヘタクソなんだし
どんなに骨を折ってもらって今の状況が在るにしろ



… ぁぁぁあああ、 だから そこ 痛いいいいいいいいい!!!


って なるんじゃないかと 思うのだ。
そして
(こういうアンビバレンツに襲われたとき
ひ弱な現代人は 自身の身体のコンフォータブルを選択するしかない
ように思うのだ。)




一方、 
ワタシがこんな思いまでして シンドイことをガマンして 親であるアナタの面倒を
見ようとこうして傍にいるのに


不自由な老体を支えようとして 今やコチラの足腰が悲鳴を上げているのに
それでも毎日 介助の手を休めず頑張ってやってるってのに


それの何が一体不満なんだアンタはっっっっ!!!!!!!



……

ふと 思いをいたすんですが

野生動物、って 在る時期が来ると、親の方から子をテリトリーから追い出しにかかる、
んですよね。
アレ、が本来生き物の正しいライフスタイルなんじゃないか、って思うのは


ワタシだけかなぁ?
どうして 人だけが 老親の面倒を
例え自身が犠牲になってでも (ココ大事)
「看るべき」 っていう なんか判らないイズムに縛られなくちゃならないんだろう



そりゃ双方が充分満足している例も多あるんだろうし
それはそれでイイし 
けれど


それをあたかも 人として「正しい規範」 のように捉えるのは おかしいと思うのだ。
いや、人として良いコトだ、と声高に叫ぶのは譲るとして

しない人を指差す社会はイヤだと。


「アンタがワタシの面倒を看なさい」
っていう親も多いだろうけど
そのとおりにしたとして 果たして親として満足するのだろうか


いや、満足はするだろうけれど

けれどそれは 自分の意思に従属させた、という満足感なのではないだろうか。
そしてそういう親は、どこまでも自身の思うとおりに子供を子供のまま、
自分の手元に置こうとするだろう
自分の老いという現実ですら そのための手段なのだろう


それは「支配欲」 
いつまでも自分の手元に肉親を繋ぎ止めたいという
人としてどうかはしらないが 生き物としてはどうなの? っていう
欲望なのではないかと思う




脱線したけれど

「自分が看る」 という決意正しく 生活を犠牲にする子供

お互いの共依存が生きがい、っていうならそりゃ仕方がないけれど


「自分が看なくちゃ親がかわいそう」 って思うなら
もしも 親が自分の意思を示せない状態になっている場合


それは 本当にそう?
それでイイのか?  と云いたい。


親が、正しく自身と子供の置かれている状況を見据えることがもしも
出来る状態だったとしたならば、よ


馴れない介護で
子供が疲弊していく状況を 良しとするのか




そして子供

生まれたての幼子に一足飛びに近づいている親が

「自らの子供が看てくれている」 という理由だけで



ヘタクソな介助を (※当社比)
それでも有り難がって心安らかに過ごしてくれる、と 思うのだろうか?


お互いに世間から隔絶された空間で2人っきり一日中過ごす
果たして
どちらが
いや
どちらも それで居心地が イイの?


親と子、 肉親とのリレーションしかない閉じた世界で
幸せなの?
未来に希望が持てるの?




先の男性は


「それでも自分が看るのが 親にとっても一番イイことだと思いますから…」 

仕事を辞め、なけなしの貯蓄を削って 日々を過ごしている
それも尽きたら 親の年金だけが 頼りだ、と云って



体重と人付き合いは激減した、  と結んであった。



ムツカシイ……






ワタシは

老いが自分を蝕む前になんとか
自分と子供の未来に そんなことは望んでいない、と
今のうちに 残しておく手段が無いか、と 



真剣に考えているトコロだ。




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実家と庭と。 [介護・番外編]


ほんの少し前、
ウチの実家の庭周りだのお墓だの
すごく荒れ放題だからなんとかせい、という 御注進を下さったご近所さんが
入院した、と人づてに訊いた。
(過労らしい)


そっか、もうそれなら 云われなくて済むのだ
(すみません 不謹慎 & 罰当たり)
(ウチのせい?)



そうして
なにやら余裕含みな気分で先日
父の三回忌を済ませついでに 実家に戻った。


お寺へ持参するものについて忘れ物がないかどうかの
ほんの一瞬の実家との邂逅であったが


その一瞬に
ワタシは なにやらそわそわして



そして 翌日
自分で 『シルバー人材』 に頼んで


実家の庭を手入れしてもらうこととした。
庭、雑草も庭木ものびのびと 伸び放題。

いや、実際ヒドいもんだった。



一年前は とがった気分のままに 周囲との軋轢を深くしつつ


挙げ句 「ほっとけ!!!」 と



母が丹精した (かどうかは知らない)  草花を根こそぎこの手で
むしったのであります。
ちぎっては
なげたのであります。




よーく考えたら
草花に 何の「てらい」 もないわけで
ワタシにされるがままに

刈り飛ばされ むしり飛ばされてくれたわけです。有り難う。御免。




それが 今年も 父が生きていた年と同じ様に 花を咲かせているのだった。
例の 「くっつき虫」 という 逞しい草花が
背丈を越えるくらいの繁茂エリアをこしらえていた。

強いね。  頑張るねぇ。
(まぁ、キライな草花の1つではある)



今年は 誰かに云われる前に 自分の意思で 
業者さんにお願いして
綺麗に 刈り込んでいただきました。 よし。


このあいだまで 親の庭で
その次に 他の誰かに 面倒を見てらう庭となり



今年中に自分で目にしないであろう庭を

人為的な作為を施され 綺麗になったであろう庭を
脳内に 置く、という「儀式」です。



それでもまぁ  「庭は庭。」


脳内で好き勝手に想像して
ワタシは


爽快になった、という次第。



心、とか頭の中とか ま、場所はどうあれ


人は自分の心の中にだけある   箱庭を持ってる。
そういうことだね。
そしてそれは 本来の庭とは何の 関わりも無いということだ。

新しい花 見たことも無い花が 勝手に咲いてくれると いいな。



人の生業と関係なしに 草花は与えられた環境で育つ。
思い出ではない、「今の顔」で育つ。


こんな ごく当たり前のことが 「スゲェなぁ。」 って思ったのです。
歴史も伝統もしきたりも思惑も無く  ついでにしがらみもない。
生存本能しか、ない。



「何か 配置図にないけど 結構な花のつぼみが膨らんでる草があるんですが
コレ、どうします?」 と訊かれた。


咲かしてやるか、 今年限り。


そのまま 『シルバー』 さんに伝えたら 何か電話の向こうで
苦笑気味だったのね w
残すほうが当然面倒だろう
そして代金は、高かった。  思ったよりも。


誰も住まない廃墟と化した ワタシの実家は
庭 スッキリ
脳内戯言で ワタシは「ムダ」 をしたんだけれども
はやかしっぱなしでも どうでももはや イイんだけれども
しいて言えば 庭の「実存」を汲んでやったのだ。



来年のことなんか 知らんよ
「鬼」が 笑うかもしれないからね w






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その夜のこと。 [介護・番外編]



母のこと・今後のこと
主治医やホームと連絡を取り合いながら
色々考えなくてはならない時に


感情の揺れは 一つ一つの問題について 理性的な結論を導くのを邪魔する。
ループになって 色々な 関係の無い事象が寄ってたかって
攻めてくるようなそんな時
早い話

テンパるのです

ワタシも。



その夜
22時過ぎ、携帯が鳴った。

こんな時間に鳴らすようなプライベートな知人はないので
ちょっと アセって出ると 
「はい。」
「あ、アタシ」



女性にしては野太い声が飛び込んでくる。
実家の同級生にして 介護士のKちゃん。
一持的に母親が特養護で御世話にもなった、あのKちゃんだ。

「きっと知らないだろうな、と思って。…ワタシも今日、地元の広報で知ったばかりだから。」

我々の卒校である小学校が今年を限りに街場の学校と統合、つまり廃校になってしまうことが決まった、
という知らせも数ヶ月前にKちゃんからもらっていた。

「その記念式典が秋にあるんだって。…で、その式典参加申し込みの締め切りが迫っていたから
今、慌てて電話してるってワケなんよ」


ありがとうKちゃん。しかし 締め切りが明日では…2人とも 苦笑い。
笑いとしばしの沈黙。


「……相変わらず 元気そうだねKちゃん。」


ホントに何気なく口にしたその言葉(社交辞令ともいいます) だったが
迂闊だったかな、と思う。


「うん。…でもさ」

「実はそれほど元気でもないんよ。 この前まで心療内科に通院してたのよ。」


仕事と家庭の両立のストレスで 心身ともにボロボロ担った彼女についにドクター・ストップが
かかったらしく
「最低でも2ヶ月は休職しなさい。」 との診断が下ったそうだ。
過労
日常生活の些細なことに機能不全が生じ ウツ状態が続き


「…早い話、ツラかったのよ。…かれこれ数ヶ月 通院してるけど あんまし良くならなくてね。」


そうは云っても ダンナと子供・そして実母のいる生活は待ってくれない。
一人娘の彼女の双肩に多くのものがかかっている。
おまけに彼女は施設に入居している実叔母の「後見人」も引き受けている。

「…コッチに残って、自分だけ貧乏くじを引いてるのかなって 思ってしまうこともあってね」

関を切ったように 現況を語るKちゃん。シンクロしてただ「うんうん」とうなづくワタシ。

ソレは話を合わせるための誤魔化しではなく、ココロからの「共鳴」だったんだよ。



数十分後

「ごめん、愚痴って。」 と お互いの言葉



Kちゃん曰く :

「あのさ、今年は色々あって無理なんだけど

来年は小学校の同窓会を ●十年ぶりに開催する予定なんだよ。 
次が何時になるんだかわかんないんだから、〇〇(ワタシ)、一回ぐらい参加しなよっ」 


ふぁい。 ソン時までに元気ならば 是非参加したいで~すっ。




アタシはさ、 Kちゃんみたいに 腰が座ってないんだよ。


中学校からのイジメに耐えた経験も無いし
こっそり隠れて一緒に遊んだけれど
アンタに対する周囲のイジメを止めてあげられるほどには正義感も無かった。

年老いた父母を持って一人娘。 お互いに境遇が似すぎていて……



すまん。 ドラえもんがアタシには居ないから
タイムマシンで 戻るわけにも行かないから
雄々しく立っているアナタに 詫びに行くことも今さら 出来ないよ。
アタシが 大人になって わざとアナタと疎遠になってしまう理由を
ココロのどこかで  ワタシは解っているから
悔しいんだな



あのさ、Kちゃん。

ん?

なんかあったら 話しなよね。


〇〇(ワタシ) こそ メールしなよね。







ワタシは甘い。 …不甲斐ない。



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photo by 『足成』





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都合の良いときで構わない。 [介護・番外編]



いつもこちらで考えているよりちょっとだけ事態は早く進んだりする。

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photo by 『足成』




まぁ、いずれ遠くなく、などと思っていた母の慢性腎不全症は 
実はワタシがのん気に考えていたよりも進行していたらしく


先般 ケア施設の付き添いのご担当より 
悪化に伴う副次的な症状(蜂窩織炎) やら 既往症である糖尿病の数値の乱高下やら
それで

「主治医の先生が、近いうちにご家族の方とカンファレンスを行いたいとおっしゃってらして。」



家族の方たちも遠方で大変だろうから
今すぐというわけではないから
コチラへ来たついでで構わないから

(ついで、て何よう)



近日、時間を開けて欲しいとのことだった。
直接主治医、と連絡を取った方が良いだろう、ということで早速、電話。

近日、といっても 何もなければ1ヶ月は後になってしまうだろうから



主治医は忙しいようで 担当の男性が 電話とアチラを行ったり来たり
コチラの都合に合わせて、とおっしゃっていたが


「コチラの都合」はまず 主治医の都合の元、「この中から日程を選んでくれ」 ということで

では、この日はどうでしょう、と 問うと、

「第三候補まで日程を挙げて欲しい」
とのこと。

では、と第三候補まで (ここら辺でかなりスケジュール的にはタイトかつ限定的となる)
挙げた上で、「どうでしょう」 と問うと

「ではそれで、先生のご都合がよろしいかどうか確認してまいります。」

このスケジューリングの何処にコチラの都合が考慮されているのかさっぱりわからん。



ということで
来週の某日、某刻、ということに決まる。

「その時間に来ていただいたとして、だいぶ待ってもらう可能性もあると思います」

へぇ、もうそれでいいや。 いいです。



関係のない話しだが 


遠い昔 教育実習に出かけていった先で
ワタシに実習史上初の赤点を下さった
(それで当時教授会の議題にのぼりかかった)

クセの強い、それでいて校長先生にはウケの良かった教科担任の物言いにそっくりの
(ピンポイント過ぎる)
母の主治医が 苦手である。

取り巻く看護師も大嫌いだ。 どうしてそう患者の身内を傷つける台詞ばかり
選んで云うのだ。


辺境に赴任してくる若手の医者とか
なんか マンガとかではかなりイメージ良く描かれてるけどね
学校の先生もそうだけどね
実際は あんな人情に溢れて尚且つ 優秀なヒトなんて 居ないからね


あっ…話しがエラい方向へ脱線しそうなので この辺にしとこ

ふん
夏の cassisは バテが偏見の固まりとなって脳内にしこっとる、と思ってくだされ。


単にストレスですわ。
今週家族でささやかな小旅行に行くので
ささやかに ささやか~に 息子と浮かれ気分で居たところなので
(結局 浮かれてたんかい)


ありますよねぇ ちょっと ヘコむ時って


(いいです。 自分で自分に共感する、というオチで)


色々あるんだろうけど
こっちだって


今度は一筋縄じゃ、いかないんだからね。








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お盆前帰省。 [介護・番外編]


台風だろうが雨だろうがナンだろうが

この日以外 予定が立たない、という事情も有り
9日朝、実家に向けて出発した。
今日は

かねての予定通り
施設から 母親を連れての墓参り
ご近所の挨拶回り ( 土産配布含 )
そして


母親が世話になっている経費老人ホームでの
夏のイベントである 「納涼祭 」 へ
息子が 「遊びたい」 というので 日帰りにもかかわらず
当日夜17:00から 参加しようという目論みもあった。




墓参用セット(線香・ロウソク・造花・墓前用ワンカップ ※当社仕様) をたずさえ
施設へ。


母は既に入り口の前に待機。 近頃用意が良い。
昼食を外でとることになるので 昼用のクスリを事務所から預かったかという問いに対し
「大丈夫」 との答え
一応事務所のご担当に問い合わせたが
「あ。 あげた…と 思います」
直接の看護士でないため要領を得ないが
今まで間違いはなかったのでそのまま出発。(時間は常に押している)


実家に到着し、あれやこれやと墓参り準備
とにかく 足の悪い母親を車に積んで(モノか)

山のきわにあるお墓まで
輸送手段が大変なのである。
歩行器だの なんだの 果ては車の車幅まで
(一台ぎりぎりの山道)

ご近所のおやじさんの手まで借りて 賑やかな墓参とあいなります。



あれやこれやで

チ~ン  なむなむなむ…



無事 終わった頃には一日分のヒットポイントの50パーセントは削っている。
近所の蕎麦やまで 四人で昼食を食べに。
量が多い上に そばつゆが少なかった。
それについて不満が嵩じてオペラ仕立てで歌っている わけのわからない相方。



誰にも知らせていない僥倖? であるにも関わらず
「ちょっと寄れ」
「野菜を持っていけ」   なにせ狭い社会。
障子の目には百個くらい穴があいている。

DSC_1912.JPG

ジャガイモ。
 



「置いてけ堀」 ならぬ 「持ってけ村」 だ。



母親などは 施設の狭い冷蔵庫にナニを入れるつもりか
「トマトちょうだい。」なんぞと おねだりしている。
集まるわ集まるわ。


施設に戻って 納涼祭の時間まで 無聊をかこつ息子と相方、そしてワタシ。

雨のせいで 会場が表から施設の玄関先に変更になるなど
台風のアクシデントで色々な変更余儀なくされているらしい。


部屋に電話がかかり

「屋台の予定が17:00から17:30に変更になりました~[あせあせ(飛び散る汗)]


女性スタッフから申し訳なさそうな声音の連絡が入る。
以降もいちいち 変更について連絡が入る。
なにこのvip待遇。
オープニングの町長挨拶より丁寧じゃない?

きけば対ウチの息子用屋台食べ歩きマップまでシュミレーションされているようで
恐縮する。



30分伸びた予定で、天候の心配していた我々を気遣って息子もまた
「僕、帰ってもいいよ・・・?」

せっかくここまでいたのだからと、居ることに決定。


すると 屋台開始予定五分前に 女性スタッフが部屋まで知らせにきてくれた。

「〇〇さん(ばあちゃん) が 『ウチのモノたちがすっごく楽しみにしている』 というもんですから」

なるほど、ばあちゃんか。 プラスお孫力 恐るべし。
ワタシたちは今、ここに来ている誰よりも
屋台を楽しみにしている家族として 認証されているのだきっと。
(うへ)



というわけで 一番乗りで屋台に突撃---。
あいにくの雨で規模は小さくなったが

射的を楽しみ フランクフルト、焼きそばを食べ

…ここで何故だか施設の男性スタッフに

「野菜がありますので持って行ってください♪」 ( またかっっ ) Σ( ̄ロ ̄lll) 

トマトとナスとトマトとナスと……


懲りずにキュウリ棒 (キュウリを棒に刺したものだった) を 50円で買って食べるワタシ
きっと今夜はキリギリスになった夢を見る。


母はと云えば、めんどくさい、といいながら ステージ前に陣取って
郷土芸能の団体さんの登壇を待っている。

もうそろそろ帰ろうか。




「あの。」

とっぷり暮れた玄関先 (お祭りちょうちんが眩しい)で
担当の看護士に呼び止められる。

結局は母は 事務所でもらった薬をしっかり部屋に忘れてきており
飲み損ねた昼のクスリを コップの水とともに 持ってきてくれたのだった。


声を少しだけ小さくして ワタシに云う。
看護師の耳打ちは大概 イイ話ではない。

「お母さんの足のむくみの件ですが」



…腎臓の機能低下が著しいとのこと。 実際ゾウの足の倍くらいむくみというか腫れあがっている。

このままだと透析という選択肢も考えなくてはなりません。ですが…


90に手が届くばあさんの「透析」 か。  体力もたないわ。

……




「そうですか。」 (ニッコリ)


放射線の後遺障害による腎機能低下については
もう十年以上前から当時の主治医に訊かされていた。
今の主治医は その事情の半分も知らないだろう
(あまり患者・特に年配者の既往症について関心を示さない医者である )

「綺麗な尿を作るためにとにかく食事制限を徹底しなさい。透析になりたくなければ。」 
と繰り返す。

今は、幾分 頭の中身が温かくなった母 (※本人談) だが
それなりに明晰であった当時は 自分に訪れる未来については誰よりも良く知っていたのだった


そこで
主治医は無視して
当時に触れていた内容どおりに ワタシは采配しようと思っている。
曰く

「食べれない、飲めないで 生きているのはイヤだからねぇ。 」 



父の時は最期まで食べたがっていたが
病院にいて それは最後まで叶わなかった。

母の場合も 「食べたい」 を優先させるべきだと思う。
それが幾ばくかの寿命に影響するとしても

自分に置き換えて、
やっぱり

「好き勝手」 したいわ (笑)



今回の墓参り行

全般 旦那曰く 「ばあちゃんに吸い取られてるんだよ」 というワタクシのヒットポイントでありますが
時々 ウチのばあさんが

「色々ありがとう、悪かったねぇ」 と

おそらく一生分の気遣いというものを (ワタシ人生・初!!)
今回 度々見せていたのが

もんのすごぉぉぉぉく 印象強かったす。
施設に入って ちょっと母親は変った。

まぁ ちょっと
いや

気のせいかもしれないが。


然るに

ワタシ なんでか翌日
筋肉痛になってるんです。 お墓の坂道も歩いては上っておらんというのに


なっさけなーーい (笑)


いちがぽーーーーーんと  さけた。



DSC_1911.JPG

コンテナに積んで来た。 …買出しか。


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遠距離介護・嫁心得編。 [介護・番外編]

遠距離介護を闘う嫁の皆さんへ :

今回は特に嫁・もしくはソレに準ずる立場の方限定でお送りいたします。
含毒 120パーセント
よって毒吐きがキライな方はスルーで。

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お墓の草取りとか。 [介護・番外編]

田舎の実家、のご近所さんから電話があったのは先週のこと。

正確には中学まで同級生だった子の母親で モチロン
既に「ばあさん」の域であり

程よくこなれた人生は とっくに佳境の域を超えている。
その ばあさんが


「あ、アンタね、突然だけど、今週こっちに 帰ってこれない? 
あのねぇ、アンタんとこのお墓の周りなんだけれどねぇ、雑草だらけだから
見てらんないから、だけれどもアタシはもうアンタのところの面倒は見てやれないから
アンタ帰ってきて雑草取りなさいよ」


ウチの墓は中越地震の時に新しく建て直した上 周囲はベタでコンクリートを打ってあるため
雑草の生えようが無いのであるが

との旨訊いたところ


「玉砂利のスキマからちょろちょろ生えてるのがみっともない」 ときました。

玉砂利敷いてんのは隣んちだろ。


で、「今週は後3日、予定が詰まっており帰省は無理」 という旨、そして「お盆前に1度帰るから」 と
努めて冷静に話した(つもり)だが
(なにせ出先)


「その前に〇×の祭礼があって、近所の人々がお墓に行くから、アレを目にされたら恥ずかしいから」

…なんでアンタが恥ずかしいのさ?


無理は無理、さもなければシルバー人材に除草を頼むから、と伝えると

「好きにすればいい。草ぼうぼうでほっておけばいい。周りに迷惑をかければいい。」

と捨て台詞を吐かれたので
コチラも多少はキレますがな。

「そうなって見かねて抜いてくれるヒトがあったら連絡下さい。…あ、アナタは何にもしなくて結構ですからね」
と 大きな声を出してしまいました。




話が大きくなる前に

(※NHK朝連ドラ 『花子とアン』 の 松本明子演じる 「りん」 が似過ぎててもう)


別のご近所に連絡して、


申し訳ないけど お墓の様子を見てきてほしいこと
ひどいようだったら 草を抜いておいて欲しいことお願いしておいた。
この方自身がシルバー人材に登録している。それでちょっと小技(わざ)を使う。

・・・

そして台風がくるぞ、という1日前

「午前中に様子を見てきた。草はたいしたことも無かったが お墓に苔がついていたので掃除してきた。
お盆に墓参りに来る頃まではキレイになってるよ。」
と 連絡あり。

気持良く、ご夫婦でお掃除してくれたそうだ。
もちろん お盆に帰省したとき、キチンと対価を払うつもり。


実は 「お金なんていらない」 という田舎の御作法が一番困る。

「お金を受け取らない」
「あくまで好意」 
というのは おまかせしたこちら側は 責任を問えないまま気ばかり遣う

なので
自発的にしてくれた場合を除いては
なにかしてくれてお礼を受け取らないヒトについては 2度目は頼まないことにしている。

中途半端に助けられるくらいなら なにもしてくれないのがイイと思う。

そういえば
「できることがあったら何でも云ってね」 といつも云ってくれる人に

・・・いざコトを頼むと スッゴク困惑されるんだよな

自分で不用意にそう云っていないか 心配だ。


その点 先のご夫妻は 働いた内容をキチンと申請してくれるし お礼(:現金含む) は喜んで受け取ってくれる。
まず頼まないことはしない。


口は出すけど手は出さない 「りん」 さん(…いつの間に) より遥かに有り難いと思う。
(そして時々頼んでいないことを勝手にしてくれたりするのだ)


お金で解決できるんだからそれでイイ。
ビジネスはすがすがしい。

ちなみにワタシが平日に実家まで草を抜きにいった場合
3時間かけて往復の高速道代金とガソリン代で10,000円は飛んでいきますな。(´;ω;`)


3年前に実家の周囲の除草をシルバー人材の人々にオーダーしたら
その後の除草後を見て 「ヘタクソな跡だな。これだから企業に頼んだりするのはダメなんだ。」 と
言ってのけたヒトがいたな。 (あ、これも「りんさん」 だったかなぁぁ) (爆)


旦那に話したら

「それは お墓にかこつけて 俺達に帰って欲しいんだよきっと。」

だから、 ワタシは、 アンタんちの娘じゃないってば。 
[むかっ(怒り)]




只今 「墓仕舞い」 を 真剣に検討中。





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検索キーワードのこと。 [介護・番外編]

めったに開かないブログの「アクセス解析」の
これまた1年に一回も見ないだろう検索キーワードを確認してみたりする

すると

「オプツーサ」や「多肉植物」だのの単体キーワードが並んでいたりして
なるほどなぁと
まだ見ぬ
そして今後も決してお近づきになることは無いだろう
ネットの向こうの同好の士に思いを馳せたりする

もちろん記事にはいっさいキーワード指定は行っていないので
エンジンの方で勝手に引っ張ってくるのだろうと思う
だからか もっぱら紋切り型の一文や単語が並ぶわけだが

昨日
その中で1つ 異彩を放って長いテールのキーワードがあった

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裏事情。 [介護・番外編]


(ほとぼりが冷めたらアップしようと考えている)



当家の老母が現在の自立支援型介護施設に入居が決まるにあたり
そのあまりの突然なタイミングと
回りも驚くハイペースでとんとん拍子に決まったこと

以前にもちょっと書いたが

実はこれにもちょっとした偶発的な仕掛け?があったということが
後日判った (かもしんない)。



以前半年ほどお世話になった居宅介護施設だが
ココに一時入居がかなったのも実は偶然である
偶然と云うか実に微妙な問題で
行政の実体に関わる話でもあるので読みたい奇特な人あるいは
ヒマな人は過去から探して欲しい

そこを出るに当たって 決してせかされたわけではなかったが
どうも雰囲気として 「何かワケあって転居先確保を急いでいるな」 ということは
うすうす感じていた

ばたばたばたと新しい避難先が決まったから結果お~らいではある。

後日 某親族代表と母親の話をした際
皆が最も不思議がる
急遽決まった入居先について

親族代表が別ルートから漏れ承った話と
ワタシが聞いた話とが整合性を持ったので記しておく


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『婦人公論』3月号。 [介護・番外編]

最近の記事で 少しだけ触れたが

姫野カオルコ氏が 今月号の 婦人公論 にまた

以前と同様のカテゴライズで 登場していたので
つい スーパーの雑誌コーナーで買ってしまった

DSC_1423.JPG

今更ですが 写真は南 果歩さんです。


(本屋で買えばいいのに・・・図書カード使いたかったのに・・・)

(そんな内輪の事情どうだっていいよ)

特集内容は    「面倒な親との関係に折り合いをつけたい」  イタタタタ[あせあせ(飛び散る汗)]


最も折り合いをつける方法は ものすごく一般的で

「相手のことを思いやりましょうね、ちゃんちゃん♪」 ・・・いや だから

それができたらこのテーマは無いでしょう。

相談内容の壮絶さに比べて落としどころの柔らかさ。

読者の体験手記は
「実家と縁を切りました」 というものだ。


特集の本編よりもむしろ

スビリチュアルカウンセラーにして 声楽家 江原啓之氏の 連載の方に
なるほど、 と感じ入るものアリ。

もちろん 姫野カオルコ氏のエッセイも期待を裏切らない
(なおかつ大半の読者の期待は きちんと裏切っている)

ワタシだけが別に特別じゃない」 的な 

例えるなら チタン製の 大鉈で 後ろから
気づくまもなくバッサリやられるような 

(ぜんっぜん わかりにくい例えであった)

実両親との複雑な関係を抱え、家を出て社会人となってからも実家の両親の介護に
大変な日々を送ったであろうコトは想像に難くないのですが

あくまで「自分はヒトと比べても大変じゃなかった」 と言い切る

今回号の タイトルにあるとおり
『面倒な親との関係』 がメインテーマなのですが


※本編抜粋

『世間も子供も、親というものに期待しすぎているのではないかと思う』 (小タイトル)
※本文抜粋

『・・・私の親しい人でも、「親に言葉が通じない、よかれと思ってやったことが全て裏目に出る」 と
嘆いている方がいます。(略)・・・・

でも、通じないものは仕方が無い、相手に変って欲しいと願うあなた自身だって、自分を変えることは難しいでしょう。もし気持が通じないというなら、今までも通じていなかったのではないでしょうか。
そうではなくて本当に急に通じなくなったというのなら、
認知性などの疑いがありますから医学的な地位書を考えて見る事も必要です。

(中略)・・・

それ以外は「通じない相性」と 割り切ったほうがいい。気持が通じないから辛いというのは
親を大変な人格者であるように期待しているということで、
かえって相手に対して酷ではないでしょうか。(以下略)』

DSC_1424.JPG


その数ページ後に 「実家と縁を切り・・・」 
許せない親達に翻弄されたという読者の赤裸々な手記が続く。

そうして 後の方の連載エッセーに 
江原啓之氏 の 

「全て(毒)母のせいにするのは 問題のすり替え」 という小タイトルと

「許せないという気持こそ実は依存心の表れ」 

という 痛いお告げの一言[雷]が。

あえておのおののポテンシャルを投げっぱなしにしているところが
この雑誌が 長い間支持されている所以かもしんない、などと 思ってみる。

しかしこれまた 確かにややこしい問題に他ならいので
姫野カオルコ氏が 声高に語らないのも 解らないでもないというか

介護する立場になった途端に親との関係の悪化を見てしまった場合の
(あるいはそれ以前からの確執があったとして)

至る道筋の脈絡とか
身の置き場の微妙さとか 
子供としての アイデンティティの正当性の危うきこと など


正直 わが身に置き換えれば 
自問自答は 数限りなくあったし
今もある

あくまでワタシ自身のことだ

(※春は自省の季節なのだ、とあらかじめ断っておく。)



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