将棋本つれづれ。 [つれづれ将棋]
息子が通う市内の将棋教室は、先生宅、が賃貸と書店の経営をやっていて、1階が書店とお教室になっている。
書店は将棋関連と子供向け良書が揃っている、ここいらではちょっと珍しい類の趣味的書店。
当然R指定の本などは置いていない。エラい。(その代わり立ち読みしずらい) (^_^;)
そんなわけで隣のお教室の片隅にはカジュアルに将棋関連本のコーナーがあるのだが、
将棋指しのコーラン、とでも言うべき歴代『月刊・将棋世界』が、大変エクセレントなチョイスを受けて
僅かひとつの本棚に、ファンなら「ぉぉっ」とか「ぁあっ」 とか うなりそうな
「羽生、七冠まであと一勝!」 とか 「米長、ついに三冠に!」
とか、好きな人には、当時の雰囲気そのままの黄金の時代の風、が吹き抜けるラインナップで
置いてある。
(興味の無い人にはたまたま立ち寄った図書館の寄稀本コーナーを覘いたときのあの違和感を与えます。)
・・・このうちの概ねはもう絶版だろうなぁ・・・(この世界、絶版、早いですなぁ。)
と思しき指南書等もたくさんある。
さすがにいかに将棋っ子の母のワタシといえ
「名人に香車を引いた男 升田の将棋」
とかの背表紙を見て 「あら、これなんかイんじゃない。ちょっと読んでみようかしら ♪」 ・・・・とはなりにくいのです。
(いまだミーハーの神、降臨せず)
とはいえ、
「置かれた場所で咲きなさい」 という有り難いお言葉もあり。
他に読む本とてありませんし・・・・ぺらぺら、先生がやってくるホンのちょっとの待ち時間に
めくったり眺めたりしておりましたが・・・
昨日、古い『将棋世界』の中から ある表紙を見て
お教室に入ってきた先生に
「あの、先生、コレ、ワタシ借りてもいいですか。」
・・・お教室用の図書を手に、いきなり堂々と先生に要求するこの母。息子は
「母ちゃんが読みたかったら母ちゃんが聞いてね」 と云うものですから。・・・
(日頃の教育が生きている、と実感する・閑話休題。)
先生はこころよく 「いいよ。来週返してくれれば」。 v(。・ω・。)ィェィ♪
それがこれ。
表紙の人は 村山 聖 九段。29歳の若さで夭折した 当時、「東の羽生」に対し
「西の村山」 と称された棋士。 (村山 聖 Wik →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E8%81%96 )
随分前、旦那様が買ってきた文庫本のドキュメントを読んで、ずっと心に残っていたのだが
本文に載っていた当時の「特別追悼号」が そっくり 本棚の一番下に無造作に置かれていたわけで。
ドキュメント、なんて
「これが実際に起きたことなら神様なんて居ないか、もしくは残酷」
としか思えないようなことが題材になるのだと思ってるけど、それにしても・・・・
あんまり苛烈で痛々しくて、切ない内容だった。
で、「泣かせよう、泣かせようって書いてるんじゃないの?」 などと
エセ読書家がどこかで一言物申すような事をワタクシもつい。
そんなわけでその「追悼号」を思わず手に取ったというわけです。
家に帰って読みました。できるかぎり隅々まで。
ワタシの結論。
『聖の青春』 は 克明なドキュメント。大変精緻にリポートされた内容のノンフィクションである。
「将棋世界」 には当時のトップ棋士が沢山の追悼文を載せていますが、それらを全般目を通すだけで、
一遍の青春小説が出来上がりそうなくらい、村山九段の人柄や生き方が熱く、鮮明に見えてきます。
『聡の青春』 の作者、大崎 善生さんは当時『将棋世界』の編集をなされていました。
極力個人的な思いを控えドキュメンタリーに徹して書いておられるけど、それでも故人への思いはそこかしこに
溢れていて、「ああ、大好きだったんだなぁ、」 と・・・村山 九段が多くの棋士仲間にとても 「愛された」
人だったんだ、というのが伝わります。
追悼号の中でも、高橋道雄 九段 の追悼文の一節が心に滲みましたので引用します。
かけがえの無い仲間を失った棋士の 切々たる哀しみが胸を打ちます。
『 ・・・・・・控室での検討風景にはいつも村山君の姿があった。
周囲に人懐っこい笑顔を振りまき、明るく、思い病を背負っている様子は微塵も見せなかった。
(中略)
明日、連盟へ行ったら、どっしりと盤の前に陣取り、棋譜でも並べていそうである。
最後に村山君に 一言、言いたい。
「そんなに早く人生を詰ませては 駄目。 駄目だよ、村山君。」 』 (1998 将棋世界10月号より)
<雑記>
・・・『聖の青春』 は・・・あくまで個人的ですが男の子の母にはおススめしずらいです。
どんな夢を追っているにしてもこれが我が子と重なった瞬間に
子供の手を離すことが怖くなります。( ワタシがそうです。)
一方で、こんな青春を過ごした男の子、がいた事を
なんでもない一児の母親のワタシが覚えておいてあげたいなぁ、と思わせる内容だとも思います。
家族のあり方・師弟愛・友情・希望と絶望 あらゆる要素が詰まってます。
涙腺の弱いお父さんも、電車の中で読むのはおススメしません。案外、男の方のほうが
号泣してしまうかもしれませんし。
ちなみに、お教室のあるお母さんは、同作者のノンフィクション 『将棋の子』 を読んで
やはり自分の息子が棋士を目指すのを 「体を張ってでもでも止める」 と本気で思った、と云うてました。
おそるべし。
・・・(つまりこの作者の著書は普及には役立っていないということですか?) Σ( ̄ロ ̄lll) エエッ
書店は将棋関連と子供向け良書が揃っている、ここいらではちょっと珍しい類の趣味的書店。
当然R指定の本などは置いていない。エラい。(その代わり立ち読みしずらい) (^_^;)
そんなわけで隣のお教室の片隅にはカジュアルに将棋関連本のコーナーがあるのだが、
将棋指しのコーラン、とでも言うべき歴代『月刊・将棋世界』が、大変エクセレントなチョイスを受けて
僅かひとつの本棚に、ファンなら「ぉぉっ」とか「ぁあっ」 とか うなりそうな
「羽生、七冠まであと一勝!」 とか 「米長、ついに三冠に!」
とか、好きな人には、当時の雰囲気そのままの黄金の時代の風、が吹き抜けるラインナップで
置いてある。
(興味の無い人にはたまたま立ち寄った図書館の寄稀本コーナーを覘いたときのあの違和感を与えます。)
・・・このうちの概ねはもう絶版だろうなぁ・・・(この世界、絶版、早いですなぁ。)
と思しき指南書等もたくさんある。
さすがにいかに将棋っ子の母のワタシといえ
「名人に香車を引いた男 升田の将棋」
とかの背表紙を見て 「あら、これなんかイんじゃない。ちょっと読んでみようかしら ♪」 ・・・・とはなりにくいのです。
(いまだミーハーの神、降臨せず)
とはいえ、
「置かれた場所で咲きなさい」 という有り難いお言葉もあり。
他に読む本とてありませんし・・・・ぺらぺら、先生がやってくるホンのちょっとの待ち時間に
めくったり眺めたりしておりましたが・・・
昨日、古い『将棋世界』の中から ある表紙を見て
お教室に入ってきた先生に
「あの、先生、コレ、ワタシ借りてもいいですか。」
・・・お教室用の図書を手に、いきなり堂々と先生に要求するこの母。息子は
「母ちゃんが読みたかったら母ちゃんが聞いてね」 と云うものですから。・・・
(日頃の教育が生きている、と実感する・閑話休題。)
先生はこころよく 「いいよ。来週返してくれれば」。 v(。・ω・。)ィェィ♪
それがこれ。
表紙のめくれ加減も無造作です。・・・けっこう気を使って裏表紙も撮ってますが。
表紙の人は 村山 聖 九段。29歳の若さで夭折した 当時、「東の羽生」に対し
「西の村山」 と称された棋士。 (村山 聖 Wik →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E8%81%96 )
随分前、旦那様が買ってきた文庫本のドキュメントを読んで、ずっと心に残っていたのだが
本文に載っていた当時の「特別追悼号」が そっくり 本棚の一番下に無造作に置かれていたわけで。
ドキュメント、なんて
「これが実際に起きたことなら神様なんて居ないか、もしくは残酷」
としか思えないようなことが題材になるのだと思ってるけど、それにしても・・・・
あんまり苛烈で痛々しくて、切ない内容だった。
で、「泣かせよう、泣かせようって書いてるんじゃないの?」 などと
エセ読書家がどこかで一言物申すような事をワタクシもつい。
そんなわけでその「追悼号」を思わず手に取ったというわけです。
家に帰って読みました。できるかぎり隅々まで。
ワタシの結論。
『聖の青春』 は 克明なドキュメント。大変精緻にリポートされた内容のノンフィクションである。
「将棋世界」 には当時のトップ棋士が沢山の追悼文を載せていますが、それらを全般目を通すだけで、
一遍の青春小説が出来上がりそうなくらい、村山九段の人柄や生き方が熱く、鮮明に見えてきます。
『聡の青春』 の作者、大崎 善生さんは当時『将棋世界』の編集をなされていました。
極力個人的な思いを控えドキュメンタリーに徹して書いておられるけど、それでも故人への思いはそこかしこに
溢れていて、「ああ、大好きだったんだなぁ、」 と・・・村山 九段が多くの棋士仲間にとても 「愛された」
人だったんだ、というのが伝わります。
追悼号の中でも、高橋道雄 九段 の追悼文の一節が心に滲みましたので引用します。
かけがえの無い仲間を失った棋士の 切々たる哀しみが胸を打ちます。
『 ・・・・・・控室での検討風景にはいつも村山君の姿があった。
周囲に人懐っこい笑顔を振りまき、明るく、思い病を背負っている様子は微塵も見せなかった。
(中略)
明日、連盟へ行ったら、どっしりと盤の前に陣取り、棋譜でも並べていそうである。
最後に村山君に 一言、言いたい。
「そんなに早く人生を詰ませては 駄目。 駄目だよ、村山君。」 』 (1998 将棋世界10月号より)
聖の青春 講談社文庫 / 大... |
<雑記>
・・・『聖の青春』 は・・・あくまで個人的ですが男の子の母にはおススめしずらいです。
どんな夢を追っているにしてもこれが我が子と重なった瞬間に
子供の手を離すことが怖くなります。( ワタシがそうです。)
一方で、こんな青春を過ごした男の子、がいた事を
なんでもない一児の母親のワタシが覚えておいてあげたいなぁ、と思わせる内容だとも思います。
家族のあり方・師弟愛・友情・希望と絶望 あらゆる要素が詰まってます。
涙腺の弱いお父さんも、電車の中で読むのはおススメしません。案外、男の方のほうが
号泣してしまうかもしれませんし。
ちなみに、お教室のあるお母さんは、同作者のノンフィクション 『将棋の子』 を読んで
やはり自分の息子が棋士を目指すのを 「体を張ってでもでも止める」 と本気で思った、と云うてました。
おそるべし。
・・・(つまりこの作者の著書は普及には役立っていないということですか?) Σ( ̄ロ ̄lll) エエッ
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こんばんは^^)
村山九段は 我が家の将棋好きの長男曰く
我が地元が誇る将棋の神だそうです。。。
息子が本を読んで涙している姿を初めて見たのが
この『聖の青春』でした
私のようないい加減な父親が何を言うよりも
この本一冊を読むだけで様々なことを学んでくれたのではと
今でも思っております。。。
ちなみに私もカミさんも読んでおりません・・・息子が涙しながら読んでいた
本を読もうという勇気がまだ無いのです。。。
by 獏 (2013-01-18 22:28)
wikiをチョロ見してきました。
「生きた」人ですね。
私などが何を言っても、薄っぺらくなってしまいます。
by ryang (2013-01-19 00:06)
●獏 さま こんにちわ^-^v。
息子さんの心の振り子が振れた場所と我々の涙腺が切れる場所は
シンクロしているでしょうか。思うとなんだか不思議な気持ちになります。
村山君の師匠の森 先生は『将棋世界』の三手詰めコーナーを持たれていますが
まだ胸の中で村山君のことを沢山思っておられるのでしょうね、時折
つぶやかれています。・・・
いつかお手にとってご覧になる日があれば、ご感想をお聞かせ下さい。
ワタシはもうちょっとしたら息子に読ませてみよう、と思っておりますが・・・できるかなぁ。
by cassis (2013-01-19 11:47)
●ryang さま こんにちわ^-^v。
村山君本人は、自分が生きた証を「一切残したくない」と云ったそうですが、・・・・周囲の思いが強かったのでしょう。
生き方とか、一点を見る視線の強さ、とか一途さ、とか・・・
ツケモノさん、むしろずっと近いところにいそうな(当社比)。
子供時代の療養所の描写は 辛いです。
by cassis (2013-01-19 11:57)