善意とボランティアと契約と [遠距離介護]
実家の近所の方から電話があった。
まったくの好意のみで、母親が自力歩行が困難になってからこれまで、通院の付き添いをしてくださっていた方。
母親は持病で内科・外科それぞれ定期に通院している。
その方からの連絡で、2月から曜日を母親のデイに合わせて変更することにしたが、
「冬場は車の運転は出来ないし、これを機に、暖かくなるまではちょっとお休みしたいのよね~」
・・・・とのこと。
ついては、そのことをうちの母親とケアマネにアタシから話しておいて欲しい、とのことなのだった。
なんでも変更の場に居合わせたケアマネにも、次回の付き添いを快諾したそうなので・・・・。
なにせ善意、からしてくださっていた事だから、突然リタイアされても文句は言えないのです。
云えないのですが・・・・・
なんだろう初めてじゃないこの気持ち。
↑この方は、うちの母親が申し訳ながって幾ばくかの礼金を渡そうとすると、「そんなことをするともうアタシはしませんよ」と怒るらしく。
次回の予約から薬の受け取りまで、実にきびきびと、手配してくれるので、母親もずいぶんと頼りにしていた。
もちろんアタシも頼るところ、大いに有り。実際、病院でドクターから提示された問題点や母親の様子などを事細かに報告してくれるので助かっていた。ボランティアでもここまではしない、ということまできめ細かく。
実際この方は普段でもボランティア活動に熱心です。
でも、善意なのである。急に打ち切られても文句は言えないのだ。甘えきっていた分オタオタするこちらの事情など、無償の善意の前にはなすすべない。
その旨、なるべく角が立たないようどうやって自然に母親に伝えようか、半日煩悶。
ケアマネに相談の上、シルバー人材の利用も検討。
(ケアマネさんが割りと事情をのんでくれているのが有り難かった)
薬をもらいに行く程度の診察ならば、デイのヘルパーで十分対応可能だが、診察でドクターから日常の注意、薬の変更など細かい指示が出る場合、基本家族かそれに順ずるヒト、が付き添うのが原則、だそうです。
「その点、付き添いはお父さんでも十分だと思うんですけどね・・・」とケアマネの言。
「しゃべりは十分すぎるほどお母さんはしっかりしてらっしゃるし」
アタシもそう思うのですが、肝心の母親が、かけらも父のことを信頼していないので。
「・・・ホントにねぇ・・・・」(←これはケアマネのため息)
・・・・・・アタシの声のトーンで、ケアマネは、色んなことを解ってくれようとしている。
そう思いたい、と思っている。
結局ケアマネの方で付き添いは手配してくださることになった。
母親との調整もしてくれるそうだ。
こういうやりとりが、『善意』ではなく「契約」でなされていることに、アタシは安心感を覚える。
アタシだけなんだろうか?
まったくの好意のみで、母親が自力歩行が困難になってからこれまで、通院の付き添いをしてくださっていた方。
母親は持病で内科・外科それぞれ定期に通院している。
その方からの連絡で、2月から曜日を母親のデイに合わせて変更することにしたが、
「冬場は車の運転は出来ないし、これを機に、暖かくなるまではちょっとお休みしたいのよね~」
・・・・とのこと。
ついては、そのことをうちの母親とケアマネにアタシから話しておいて欲しい、とのことなのだった。
なんでも変更の場に居合わせたケアマネにも、次回の付き添いを快諾したそうなので・・・・。
なにせ善意、からしてくださっていた事だから、突然リタイアされても文句は言えないのです。
云えないのですが・・・・・
なんだろう初めてじゃないこの気持ち。
↑この方は、うちの母親が申し訳ながって幾ばくかの礼金を渡そうとすると、「そんなことをするともうアタシはしませんよ」と怒るらしく。
次回の予約から薬の受け取りまで、実にきびきびと、手配してくれるので、母親もずいぶんと頼りにしていた。
もちろんアタシも頼るところ、大いに有り。実際、病院でドクターから提示された問題点や母親の様子などを事細かに報告してくれるので助かっていた。ボランティアでもここまではしない、ということまできめ細かく。
実際この方は普段でもボランティア活動に熱心です。
でも、善意なのである。急に打ち切られても文句は言えないのだ。甘えきっていた分オタオタするこちらの事情など、無償の善意の前にはなすすべない。
その旨、なるべく角が立たないようどうやって自然に母親に伝えようか、半日煩悶。
ケアマネに相談の上、シルバー人材の利用も検討。
(ケアマネさんが割りと事情をのんでくれているのが有り難かった)
薬をもらいに行く程度の診察ならば、デイのヘルパーで十分対応可能だが、診察でドクターから日常の注意、薬の変更など細かい指示が出る場合、基本家族かそれに順ずるヒト、が付き添うのが原則、だそうです。
「その点、付き添いはお父さんでも十分だと思うんですけどね・・・」とケアマネの言。
「しゃべりは十分すぎるほどお母さんはしっかりしてらっしゃるし」
アタシもそう思うのですが、肝心の母親が、かけらも父のことを信頼していないので。
「・・・ホントにねぇ・・・・」(←これはケアマネのため息)
・・・・・・アタシの声のトーンで、ケアマネは、色んなことを解ってくれようとしている。
そう思いたい、と思っている。
結局ケアマネの方で付き添いは手配してくださることになった。
母親との調整もしてくれるそうだ。
こういうやりとりが、『善意』ではなく「契約」でなされていることに、アタシは安心感を覚える。
アタシだけなんだろうか?
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