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疑惑。(母) [介護・番外編]

母親にまつわる遠い思い出。


ワタシが小学校低学年だった当時、病院ではなく月に2回
母親が 街の保険センタへー通院するのに
くっついて行っていたことがある

子供心に良くワカラナイ病名

「ケッカク」 というものに 母親が罹患していること

この病気は美味しいものを食べてゆっくり家で休んで
・・とにかく何もしないで安静にしていないとよくならないということ
だから

「そうは云っても ウチは貧乏だし、(父親の)給料は少ないし
アタシが内職だってして 畑もして働かなくちゃ暮らしていけないんだから・・・」

「あ、そうそう

それからオマエは 大きくなったらケッカクになるかもしれないから。
もううつっているかもしれないからね。今から覚悟をしておきなさい。」

こんなことを 日常会話のように なんでもないことのように とうとうと話す母親だった

子供ココロに ケッカクとはたいそう怖い病気であり
これに罹患したら ・・・・

母親みたいに 保険センターにずっと通わなくてはいけないんだ、と
怯えていた
自分が将来それに なるということも怖く  (・・・ありえないぞー、と今なら叫ぶわ)

母親が握っていた手を ぎゅっと掴んだかもしれないし
振り払って逃げたかっただけかもしれないし(そんな前のこと覚えちゃいないケド)

一方 
区の役員など大変な仕事を頼まれた際には

「ワタシは体がコレで・・・自由も利かないもんだからちょっとねぇ・・・
お医者様に止められてるから・・・運動しちゃいけないし・・・」

とイザというときの切り札にもなる 随分 都合の良いモノであることも知った

(コレになったら学校休めるかも と
チラと頭の片隅に思ったことも 無いことも無い。)

通所はワタシが中学生になる直前まで続いたが
ついぞ1度も母に症状が出ることなく

母親は 「完全寛解」 のお墨付きを頂いたらしい




ところが 保険センターへ通院しなくてよくなったその頃から

母親は 少なくとも周囲には理由の判らない咳き込み発作を
頻繁に起こすようになった

主に父親やワタシの目の前で起こることが多く

それは誰かが「大丈夫?」 と背中をさするまで続く
辛そうな上目遣いでコチラを見る母親は 当時のワタシにはひたすら

恐怖だった

だが花の中学生も 思春期・反抗期に突入すると 結構アレなもんで


ある時 鮮明に覚えている 冬の大雪だった当時
半ドンで 帰宅してコタツに浸かり
のんきに赤川次郎を 読んでいたワタシと コタツにへばりついて
内職を続けていた母親
(反物を扱う仕事で結構専門的)


例の発作が母親を遅い
咳き込む

ワタシは 「また始まったか」 と思いつつ


でももうなんだか小説が面白くて そこから目をそらすのが
イヤさに

聴こえない振りを決め込んだところ


発作は面白いように ヒドくなり
しまいに血反吐でも吐きそうなくらいに大仰なものとなった

無視というより 今までに無い状況になったことに恐怖というか
動けなくなって唖然としていたのだ
コタツにつっぷしている母親。


やがて静かになる

・・・これって 死んじゃったの?

「ねぇ・・・大丈夫?」  とさすがに声を掛ける。


ややあって

やがて地獄の底から響く声で

「・・・なんで先にそれをいわないんだいアンタはっっっっっっっっっっ

アタシがこうなったらアンタはアタシをそのまま殺しちゃう気なのかい、等

その後 えんえんと 罵詈雑言&恨み節が続いた。

うんざりした記憶。・・・アノ当時のワタシの予見みたいなものは
ローテイーンの 反抗期にありがちな気の迷いとか誤認ではなく


「・・・このヒトのこれは ウソだ。

この時のジャッジは今でも正しいと思っている。


以来 母親がワタシにアタマに来て表現する項目の中に


「薄情な子」 というレッテルが付け加わった。




もちろんその後もずっと無視し続けて今に至っている。
少なくとも 母親には喘息発作は 認められていない。
当時も今も。






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暗黒工房


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