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年始の訃報。 [お出かけ]

明けて3日の 午後のこと


突然の訃報の知らせを 郷里の友達(同級生)からもらった。
彼女の母親が今朝がた 亡くなったのだ。



そして


5日の今日、本葬に参加して参りました。
旦那も有休を取得して (仕事始めだが)
家族揃っての 帰郷と相成ったわけ。



実家まで高速を使って約3時間の冬の道のり。
せめてもピーカン晴れだったのが 救い。
昨年から 天候に(だけ)は 恵まれる。
実際
「ほんの1日前までは 大荒れだったんだよ」 と地元の人が。
(このパターンが続くね)



だからといって 少しも気の晴れない 切ない訃報とその顛末と、であった。

かねてより入院加療の中にあったが

回復の難しい病を前に
しかしあくまで 闘うことを前提に 帰宅
家族で迎えたお正月の最中の
哀しい事故だった。

比べられる 「死」 など 無い、と思いつつ
幾度も自分に近い「死」 を反芻すれば それは
おのずと「死」を 比較していることになるんだろう



ほんの1ヵ月前に のほほんと 三回忌の読経をいただいている自分と重なる
今・此処にいて 焼香の器を 廻してる自分の手を
まじまじと見てしまった。


故人の娘とは 遠くで血が繋がっている (らしい)


もともと
同じ中学を出て ムラ社会で親同士もとても近い間柄だった
(とんからりな隣組だね) (レトロ)


2年前の自分と 同じ立場のヒトがあそこに座っているという
当たり前な けれど不思議な光景だった。


同じ場所なんだけどな
こうして後姿を見る自分と あの人達とは とても遠いのだ。
だから 「共感」なんて失礼なことは 出来ないと思った。
もちろん 「比較」はいけない。
色々と思い出さないようにするのは結構骨が折れる、というくらい
デジャ・ブがやってくる。

読経中の もうすを被った御坊様を見ていたらふいに

あぁ、自分は神も仏もない罰当たりだなぁ、という感慨が身内に湧いた。
(それをお葬式の間に体感している重ね重ねの罰当たりだな)



自分の 「生きたいと思うだけ」 の生を全うできる人なんて居ないよね
ちょっとだけ 故人とお話を (脳内で) してみた。


夏の電話 
あれが最期になっちゃいました。
遺された人達は きっと立派にやっていくでしょう。
アナタが居なくとも。

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年齢を上がるほど「生」に対して貪欲になるのは
底の知れない暗がりが すぐ近くに口を開けているのが見えるからなのか
それとも
残していくものについての悔悟が多いせいなのか


自分の積み上げた歴史なんて
千枚通しに突き通してしまえば
所詮は穴で 人生なんてその程度の厚さしかないってことか。


反転して 底の見えない「穴」 のような死がある。


ぽっかり空いてしまった穴を この先様々な美麗辞句で埋め尽くさなくてはならない
日々が続くんだろう
蒙昧に甘えて居ても、 いつの日かクリアに見せられる日が来る



喪主とはひどく 現実的な話ばかりをした。
「お悔やみ」 なんて 申し述べなかった。
彼らは充分すぎるほどに悔やんでいたから
「みんな、そうだから。」 とだけ伝えた。

もうちょっとだから。


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帰り道は冬の暮れ頃だったので
高速道へと続く雪道は
ナイターのスキー場の灯りやら
15夜に間もない月明かりやらで溢れていて


ワタシは無口になってしまい 子供は 「綺麗」と云って写真を撮った。



「メメント・モリ」 と何気なく書いたワタシの新年の戯画です
何本ものロウソクを挿した白い覆い布みたいに見えた。
只、そのように見えたというだけで 何を示唆するわけではありませんが
単純に美しい風景だったので。



皆必死で生きている。
ただ漠然と 「生きていたい」と思った夜
往生際・の きわきわが来ても
見苦しく戦うぞ、戦ってやるぞ、と決意新た。




先に逝く人は 鉛のように重たいバトンを遺していくのだ。




P1050083.JPG

2015.01.05 撮影






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